そして、頤を撫でて
(こうしておけば、十日、二十日、牢屋におっても、むさくるしい顔には成らん)
 と、考えながら、客間へ立って行った。
 客は、黒縮緬の羽織に、亀甲織の袴をつけた、若い侍であった。挨拶を済ますと
「入門を、お許し下されましょうか」
 と、いった。大作は
(奉行の手の者では無い。それにしても、物好きな――)
 と、感じると同時に
「相馬大作は何者で、何をした男か、御存じの上か?」
「心得ております」
「咎めを受けることがあるかもしれぬが、御承知か?」
「義を、道を学ぶ者として、俗吏の咎め位を恐れて、何と致しましょう」
 若者は、その当世風の着物に似ず、しっかりした口調でいった。大作は、微笑して頷いた。そして
(世間は広い。こんな若さで、こんなことをいえる侍も居る。矢張り、道は、同志のあるものだ)
 と、感じた。そして
「門人連名帳へ署名血判なされ」
 というと同時に、若者は
「御免」
 と、いって、脇差から、小柄を抜いて、左の親指へ当てた。

    二十七

 病気と称して、引籠ってしまった右源太は、生薬《きぐすり》屋から買ってきたいい加減の煎じ薬を、枕元に置いて
(さあ、困った)
 と、布団の中で、眼を閉じていた。
(どんどん門人は増えるそうだし、見に行ってきた同心、手先の奴等、口を揃えて、あれが正真正銘の大作だ、女狩の討取った大作は、贋の大作だと――それもいいが、関良輔の馬鹿野郎め、白洲で、天下に大作はただ一人だと、自分も大作と名乗った癖に――師の名を汚しましたる罪などと――余計なことをいやがって、一体、俺は、何う成るのだろう?)
 隣り長屋の人が出て行っても、裏通りを、誰かが通っても、呼出しに来たのではなかろうかと、びくっとした。
(うまくいい抜けておいただけに、俺は、余計憎まれるにちがいない。重ければ、追放、軽くて、知行半減――首のつながるだけが、目っけものだが――知行が半分になっては、あの女には第一逢え無くなる)
 女狩は、自分に、不相応な、水茶屋の看板娘が、大作を討取ったという名に惚れて、好意を見せているのを、しみじみと考えた。
(女の方は、何うにでも誤魔化せるが、お上は一寸、今度は嘗め切れない――何んて馬鹿野郎だろう。あの大作って奴は――いいや大作が、命知らずなのよりも、のめのめ捨てておくお上の気が知れぬ。いやいや、お上より津軽が、何故
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