分別と――)
 吉右衛門は、支度をして、立上った。
「何処へ、今時分から」
 と、村の人が、声をかけた。
「江戸へ行って参ります」
 吉右衛門は、丁寧に答えて、お叩頭《じぎ》をした。
「まあ」
 村の人々は、それ以上に、物をいわなかった。
(この村の人を丸めるのは訳は無いが、江戸の役人は、俺の逃げたのを聞いているだろう。逃げたから? 罪にはならんか? 逃げたことが奉行所から、江戸中へ洩れているか?――今度、江戸へ行っての噂が、俺の運命をきめるんだ――余り称《ほ》められすぎているから、逃げたことが洩れた時、その逆がきたなら?――いいや、俺は生きている。物が書ける。何んなことをいっておいた所で、何もかも知っているんだから、俺から、何んとでも、弁解することが出来る。心配することはない。士分が、切腹だから、俺は切腹せんでいい。切腹でない?――そうだ、江戸お構い――その辺の所だ。そうだ)
 吉右衛門は、一切が、明らかになったように思えた。微笑しながら、早足に、江戸の方角へ歩み出した。
(義士、寺坂吉右衛門――俺を、散々下郎扱いにしたが、そいつらが、四十六人で、俺を一番幸福な人間にしてくれたんだ。だから、義士だ。あはははは。そうだ。俺にとってこそ、本当の義士だ)
 吉右衛門は、声を立てて笑った。

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この一篇は、作者の空想では無い。寺坂吉右衛門が、討入当夜、逃亡したということは、明らかな事実であるが、俗説として四十七人の中へ加えられているのである。簡単に、その証拠を、拠《あ》げるが、徳富蘇峰氏の「近世日本国民史」元禄時代中篇、三百十一頁に「寺坂の使命と称すべきものは一も是れない。さらばその仔細といふは到底不可解だ。併し、強ひてその解釈を求むれば、彼の仔細は、毛利小平太の仔細と同一だ、即ち臆病風に襲はれて、一命が惜しき許《ばか》りに逃亡したといふことだ」
その外、いろいろの信ずべき書に出ているが、詳しく書く必要は、ないとおもう。
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底本:「直木三十五作品集」文藝春秋
   1989(平成元)年2月15日第1刷発行
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:鈴木厚司
2006年10月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校
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