、湯葉か」
と、隣りの友人が、箸でつついたので、そいつの弁当を叩き落とした事があった。中学五年間、この油揚げと、湯葉で一貫した。
十四番が最高で、成績はよくなかったが、その代りに、初めて出来た中之島の、大阪市立図書館へ
「図書館へ行かんとあかん」
の、私の一言で「真平御免」の父は
「そうか」
と、許してくれた。二銭で、一時に、三冊貸してくれる。学校から戻ると、中之島まで――これが又、相当の道のりで、恐らく、今の、バス、電車を利用する学生にはわかるまいが、雨が降り出したり、つい遅くなって、夜に入ったりしては、相当つらいものであった。
今でも、司書をしておられるか――名を忘れたが、細面の、病弱らしい、出し入れのかかりの人が、三年余り前、大阪へ行った時、一寸行ってみたら、未だ在勤で、挨拶をされてなつかしかった。
ある一つのカードの函などは、ことごとく読んでしまった。歴史、数学、文学に亙って、読んだの、読まぬの、貸本屋以来の渇望で、めちゃめちゃに読んだ。
私は、記憶力の点に於て、殆ど零に近く、人の顔や、名を忘れる事には、いつも呆れているが、本を読んで忘れる事も、人後に落ちないつもりである。それだけ読んで、何か憶えているかと、云われると、何一つ憶えていない。しかし、憶えているのがいいか、忘れてしまうのがいいかは、俄に判断は出来ないと、信じている。多く読み、ことごとくを忘れると、物の見方、考え方が公平になって行くようであるし、一旦読んで忘れたものは、読まずに知らぬのと、丸でちがう。何か、機にふれると、ふっと思出す。必要があると、ああそうだったと思うことがあるし――この点に於て、読んで忘れて、現在零なのと、知らぬから零なのとは、天地のちがいである。僕らは、凡庸だから、憶えていて、別の物を入れる妨げになるより、ことごとく忘れて、ことごとく入れた方がいいらしい。
十五
智識は豊富になったが、記憶力が悪いし
「何んだ馬鹿馬鹿しい、ツィンクル・ツィンクル・リッツル・スターが何うしたんだ」
と、すっかり、英語を馬鹿にした。いつも、六十五点か、七十点位であった。数学はから駄目。中学五年の時は、三角であるが、とうとう教員室へ行って
「私は、哲学か、文学をやるんです。それも、私立へ入るつもりですから、三角の必要は、絶対にないと思います。必要の無いものを、何も苦しんで
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