そして最前の白痴のために扉《ドア》をあけさせられた。白痴は果して持って来た、ただし最前の金貨ではのうて、九円と九十九銭、キチンと釣銭を持って来おった。
「そこで、この馬鹿正直行為を見て、狂的な伯爵の頭は火のように燃えた。彼は自分が永い間一人の正直な人間を求めた今様ディオゲネスで、遂にその一人を求め得たのだというた。彼は新たに一枚の遺言書を書いた、それはわしも見せてもろうたが。彼はその律儀な若者を巨大な人気のないこの城中に引取って、無言の下男として、また――奇妙な方法で――自分の後継者として訓育した。そこで、この奇妙な男が伯爵の言《げん》をいかほど理解したとしても、とにかく次の二つの訓言《くんごん》だけは絶対に理解した。[#「。」は底本では欠落]第一に「正直」という文字が万能であること、第二に彼自身がグレンジールの「富」の相続者にされたのであるということ。そこまでは簡単である。男は家中のありとあらゆる黄金を剥取りはじめたんじゃ。しかしじゃその代りに黄金にあらざるものは何一つとして手を触れなんだ。嗅煙草は無論のことである。彼は古い美くしい本さえも引張出して中から金の類《るい》を切取った。しかしそれで他の部分には正直に手をつけんと思うておったようなわけですじゃ
「これだけの事実をわしは知った、しかしわしには髑髏《どくろ》[#ルビの「どくろ」は底本では「ろうそく」]の一件が了解出来ん。馬鈴薯畑から人間の首が飛出したのを見ては心中すこぶる安からざるものがあった。わしは困り抜いた――そこへフランボー君、君が『歯医者』という一言を提供してくれたんだ。
「したがまあよいわ、金歯さえ抜取ってしまえば、髑髏は元の墓の中へ納めるじゃろうからな」
 そして、実際、フランボーがその朝、例の小山を通りかかった時、彼は例の不思議な人物、正直一轍の吝嗇漢《けちんぼ》が一度|汚《けが》した墓をまた堀返しつつあるのを見かけたのであった、格子縞《こうしじま》のスコッチラシャを頸のまわりで山風《やまかぜ》にひるがえしながら、そしてジミな絹帽を頭上にいただいて。



底本:「世界探偵小説全集 第九卷 ブラウン奇譚」平凡社
   1930(昭和5)年3月10日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「或→あ・あるい 恰も→あたかも 貴方→あなた 雖も→いえども 如何→いか 何れ→いずれ 一層→いっそう 於て→おいて 恐らく→おそらく 斯→か・こ 反って→かえって 彼処→かしこ 曽て→かつて 位→くらい 此→こ・この 極く→ごく 此処・此所・茲→ここ 是・之→こ・これ 左様→さう 然・而→しか 而かし→しかし 暫し→しばし 暫く→しばらく 直様→すぐさま 頗る→すこぶる 凡て→すべて 直ぐ→すぐ 即ち→すなわち 其→そ・その・それ 而→そ 其処→そこ 沢山→たくさん 唯→ただ 忽ち→たちまち 度事→たびごと 給→たま 為→ため 丁度→ちょうど 一寸→ちょっと て居→てい・てお て頂→ていただ て置→てお て見→てみ 何→ど・どう 何処→どこ 兎に角→とにかく 取りわけ→とりわけ 何故→なぜ 成程→なるほど 筈→はず 程→ほど 迄→まで 又→また 寧ろ→むしろ 若→も・もし 知れない→しれない 勿論→もちろん 尤も→もっとも 貰→もら 矢張→やは・やはり 俺→わし」
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※底本中の「グレンジル」「グレンジール」、あるいは「フランボー」「フランボウ」、「燈」「灯」の混在はそのままにしました。
※底本は総ルビですが、一部を省きました。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(加藤祐介)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2004年6月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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