先《つつさき》をのぞき込んでいた。
 金千代と、竜作とは、接待に出た酌婦へ、江戸の流行唄を教え乍ら、酒をのんでいた。
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甲州街道に、
松の木植えて
何をまつまつ
便《た》より待つ
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「あんちゅう、いい声だんべえ。この御侍は、よう」
 と、酌婦は、金千代に凭れかかった。金千代は、左手で、女の肩を抱いて
「今度は、上方の流行唄だ」
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宮さん宮さん
御馬の前で
ひらひらするのは何んじゃいな。
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「誰だ」
 隣りの部屋から、怒鳴《どな》った。金千代が、黙ると
「怪《け》しからんものを唄う。朝敵とは、何んじゃ」
 会津兵が、襖《ふすま》を開けて
「これっ」
 金千代は、御叩頭して
「仕舞いまで唄を聞かんといかん」
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あれは、芋兵《いもへい》を
征伐せよとの
葵《あおい》の御紋じゃ無いかいな
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「たわけっ」
 と、云って、会津兵が引込んだ。酌婦が、その後姿へ、歯を剥出した。
「御前今夜、どうじゃ」
 酌婦は手を握り返して
「俺らも、甲府まで、くっついて行くべえかのう」
「よかんべえ」
 竜作が
「雪だ」
 と、いった。障子を開けると、ちらちらと降り出していた。
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今宵も、雪に、しっぽりと、
卵酒でもこしらえて
六つ下りに戸を閉めて
二人の交す、四つの袖、
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「ようよう、俺らあ、酔ったよ。金公《きんこう》、金的《きんてき》、もっとしっかり、抱いてくんしょ」
 酌婦は、豚のような身体を、金千代に、すりつけた。

      四

 一人が
「早馬《はや》だ」
 と、叫んだ。腹当へ、大きく「御用」と、朱書した馬に乗った侍が、雪の泥濘《でいねい》を蹴って走ってきた。
「留めろ」
 近藤が叫んだ。二人の旗持が、旗を振って
「止まれ。止まれっ」
 兵が二三人。大手を拡げて
「止まれえ」
「何故止める」
 馬の手綱を引締めて、侍が、不安と、怒りに怒鳴った。
「甲陽鎮撫隊長、近藤勇だ。何処の早馬か」
「おおっ――これは、甲府御城代より、江戸表への早馬です」
「敵の様子を知らんか」
「それを知らせに行くんです」
「何処まできた」
「昨夜、下諏訪《しもすわ》へ入りました」
「下諏訪?――甲府まで幾里あるかな」
「十三
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