と共に向島で待っていた。渚から七八間離れた所に仕合の場をしつらえて、足軽小者を小半町も四方へ出して見物人を警《いまし》めている。佐々木小次郎は絹の着物の上に染革の袴、立付《たてつ》けに縫ったのをはき、猩々緋《しょうじょうひ》の陣羽織をつけて草鞋《わらじ》履きである。刀は三尺二寸五分、物干竿と名づけたる備前鍛冶長光《びぜんかじながみつ》の刀、武蔵が渚づたいに歩んでくるを見るとともに腰掛を離れて走出た。そして渚に近よって、
「武蔵殿、拙者は辰の上刻前に渡っているに、余りの遅参不届で御座らぬか」
 と声をかけた。武蔵それを聞いたか聞かぬか黙って口許に笑を浮べながら、矢張り渚の小波《さざなみ》を踏んで歩み近づく。
「武蔵、おくれたか」
 と、怒りの声と共に、刀を抜いて鞘を捨て右手に提げて武蔵を迎える。武蔵その時、ぴたりと歩みをとめて、にやにや笑いながら、
「小次郎、試合はその方の敗じや」
 と云った。小次郎怒りの面地《おももち》を現して近づくのを、
「勝つつもりなら鞘は捨てぬものぞ」
 と云って、小次郎を正面から笑って迎えた。小次郎と武蔵との距離が一間余りに近寄ると見る「間《かん》」。互の気合、小次郎はどっと倒れてしまうし、武蔵の鉢巻の手拭が切れて落ちた。
 伊藤一刀斎は云う。
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勝負の要は間也《かんなり》。我《われ》利せんと欲せば彼又利せんと欲す。我往かば彼|亦《また》来る。勝負の肝要|此《この》間にあり。故《ゆえ》に吾伝の間積りと云うは位《くらい》拍子に乗ずるを云う也。敵に向って其《その》間に一毛を|不[#レ]容《いれず》、其|危亡《きぼう》を顧《かえりみ》ず、速く乗て殺活し、当的よく本位を奪うて|可[#レ]至者也《いたるべきものなり》。若《も》し一心|間《かん》に止まるときは変を失す。我心《わがこころ》間に拘わらざる時は、間は明白にして其位《そのくらい》にあり。故に心に間を止めず間に心を止めずよく水月の本心と云う也。故に求むればこれ月に非ず、一心清静にして曇りなき時は万方皆これ月の如く|不[#レ]至《いたらず》と云う所なし。
古語に曰《いわ》く、|遠不[#レ]慮《とおくおもんぱからざれば》則《すなわち》必《かならず》|在[#二]近憂[#一]《ちかきうれいあり》と、故に間に遠近の差別なく其間を|不[#レ]守《まもらず》、其変を|不[#レ]待《またず》人に致されずして疾《はや》く其位を取るは当の一的なり。もし夫《それ》血気に乗じて無落著《ぶおちつき》する者は我刃《わがやいば》を以て独り身を害するが如し。
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 一刀斎先生剣法書に一箇条「間」の説明である。武蔵と小次郎との試合を説明せんが為めに書いたと同様に上手に「間」の事を説いている。

         四

 倒れている小次郎の側へ近々と近寄って二度目の気合をかける「間」小次郎の備前長光、横に一薙《ひとなぎ》すると、武蔵の膝を掠《かす》めて垂れていた袷の裾三尺余り切れて落ちる。と共に小次郎の脇腹の骨が折れて、口と鼻とから鮮血が流れ出た。
 武蔵という人は身の丈六尺、力が強かった。ある人、差物竿にするから竹を選んでくれというと、武蔵竹を右手にとって、びゅっと振ると、竹が砕けてしまったというから凄いものである。この大力で打たれては小次郎も堪らない。
 武蔵は暫く小次郎の面《おもて》を凝視《みつ》めていたが、木刀を捨てて膝をつき、小次郎の口へ手を当てて呼吸を窺っていた。それから眼瞼《まぶた》を押開いてみて瞳を見た。手を離すと共に、遥かに控えている検使に一礼して木刀を拾取ると共に、静々渚へ行って船に飛乗った。そして船頭に楫を操《あやつ》らせつつ、自分が楫を入れて漕去った。自ら楫を入れたのを急いだと解く人があるが、磊落《らいらく》な武蔵の別にそういうつもりも無く、紙撚《こより》で襷にしたのと同じような心安さからであったのであろう。
 下の関へつくとすぐ一書を長岡佐渡に認《したた》めて使いを出し礼を述べて、筑前へ去った。
 武蔵は二刀一流の創始者であるが、一生の試合六十余度のうち一度も二刀を使っていない。「兵法三十五※[#「山+竒」、第3水準1−47−82]条」のうちに、
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此道《このみち》二刀として太刀を二つ持つ儀、左の手にさして心無し太刀を片手にて取ならわせん為なり、片手にて持得《もちえ》ば、軍陣、馬上、川沿、細道、石原、人込み、かけはしり、若《もし》左に武道具持たる時|不如意《ふにょい》に候えば片手にて取なり、太刀を取候事《とりそうろうこと》初め重く覚ゆれ共《ども》後は自由に成候《なりそうろう》。
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 とある。後世二天政名流、二刀二天流などの士は左右に刀を振った例は有るが、武蔵は片手にても双手に使うと同じように使わんが為めに左右へ執ったのである。
 同書の中に、
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期を知るという事は、早き期を知り、遅き期を知り、のがるる期を知り、のがれざる期を知る、一流直通という極意あり、此事《このこと》品々《しなじな》口伝《くでん》なり。
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 とあるが、伊藤一刀斎の「間」を云ったものである。事のついでに立廻りの心得二三を書いておくが立廻り役者の出鱈目な立廻りなど少々心得ておくといい。
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二つの足とは太刀一つ打つ内に足は二つ運ぶ物也。太刀乗はずし、つぐも退くも、足は二つの物也。足を継ぐと云う心|是也《これなり》。太刀一つに足一つずつ踏むは居付《いつき》きわまる也。二つと思わば常に歩む足也。
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 太刀一つに足一つずつ踏むは居付きわまる也とは、足が居附いて変化に不便という意味である。
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身のなり、顔はうつむかず、余り仰《あお》のかず、胸を出さずして腹を出し、腰をかがめず、膝を固めず、身を真向にしてはたばり広く見する物也。
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 武蔵と小次郎との此の試合に就ては、いろいろの批評があった。その一つは、
「止めを刺さなかった」
 と云う事である。これに対して武蔵は、
「小次郎も天晴な若者である。試合の勝負は遺恨の勝負でないから勝てばいい。もし止めをささずに生返ったらそれこそ嬉しい話ではないか」
 と云っている。当時の試合は素面素小手であるから、打ち所によっては不具や生命を取られる事は免れなかったのである。
「時刻を遅らせて小次郎を待ち疲れさせたのは卑怯な謀《はかりごと》である」
 と云う非難に対して武蔵は答えていない。私が武蔵に代って答えると、
「そもそも兵法とは、古人の云っているとおり、刀術を表とし兵略を裏としたもので、後に軍略と剣術とに別々になったのは、徳川以後の事である。武蔵の時代まで、兵法と剣術とは同一の物で、戦の駈引と試合の駈引と合一点から出ていた。大抵の試合に武蔵が敵を苛立たせる為め、やや遅れて行っているが、時としてこの裏を掻いて早くより待っていた事もある。吉岡一門と試合した時などこの方法を採っている。そして伊藤一刀斎なども、詭計をもって敵を計ると云う事を極意の一つにしているし、敵のこの謀《はかりごと》に己が心の乗らぬように常に戒《いまし》めている。従って、武蔵はこう云う批評に対して答える必要は無かったであろうし、あるいは後世の人が批評した非難で当時の噂でなかったかも知れない」
 後年熊本に於いて当時の試合の話が出て、さる人が、
「小次郎の鋩子尖《きっさき》が貴殿《あなた》の眉間を傷つけたそうで御座るが」
 と云った時、武蔵、燭台をとって面《おもて》へ近づけつつ、惣髪にしている額を撫で上げつつ、
「よっく御覧なされ、幼い時腫物をして少しあとが御座るが刀傷があるか無いか」
 と、その人の所へ幾度も差《さし》つけたので、この者大いに弱ったと云う話がある。武蔵の詳伝はいつか書きたいが、この人の武芸の何処辺まで到っていたかと云うに就て面白い話がある。後《のち》細川三斎に召されて登城し、
「当家中にて貴殿の御眼識《おめがね》に叶った者御座ろうか」
 と云われた時、武蔵が、
「只今、式台の所にて一人見受け申した」
 と答えた。左右に居流れている中を物色したが、その者が見えぬので、諸士溜所へ自分で立って行って都甲太兵衛《とごうたへえ》と云う者をつれてきた。そして太兵衛に、
「御身の平生の覚悟は」
 と聞いた、太兵衛の辞するを強いてと云うので、
「別に覚悟とて持ちませぬが、常に死の座に居ると云うつもりをして居りましたところ、最初の裡《うち》は死という事が離れにくく、覚悟をしながらも死と睨めっこする中《うち》いつか、死の事は忘れ果て、今は死の事など存じもよりませぬ」
 と答えた、武蔵|之《これ》を聞くと共に、
「これが兵法の極意に御座ります」
 と申上げた。式台に坐っている多勢の士《さむらい》の中から、この覚悟で生死の境を超脱している都甲太兵衛を、一目で見出したと云う事は一寸《ちょっと》想像もつかぬ恐ろしい話である。武道の士の心懸として「霜の降る音が判る」とか「背後《うしろ》に迫る人の気配を感じる」とか、吾々の想像も出来ぬ感覚をもった話が残されているが私は事実であると思う。
 正保二|乙酉《きのととり》年五月十九日、熊本で死んだ。養子宮本伊織の建てた碑が未だに小倉市外に立っている。



底本:「仇討二十一話」大衆文学館、講談社
   1995(平成7)年3月17日第1刷発行
   1995(平成7)年5月20日第2刷
入力:atom
校正:柳沢成雄
2001年5月12日公開
2004年2月6日修正
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