た人もあろう。誰かがこの事を、国の人々へ伝えてくれるであろう。それでいい。わしが、得手の槍で負けたのよりも、不得手な刀で、ここまで戦ったほうが、却っていいかも知れない)
そう考えた時、一足退った。そして
(しまった)
と、心の中で叫んだ。何かの上へ、蹠《あしうら》がのって滑ったからであった。そして、無意識に、荒木が、打込んでくるであろう刀を防ごうとした時、身体が崩れてよろめいた。果して、荒木は、この一髪の機を握《つか》んで、打込んできた。半兵衛は、鍵屋の横の物置の中へうんとつんである枯松葉の中へ、どっと、倒れてしまった。
九
身体中が、疼痛《とうつう》に灼けつくようであった。咽喉《のど》が干いて全身に熱が出て、気が時々、遠くなった。
手当をし、介抱し、薬をつけ、飲ましてくれる人の顔がぼんやりとしか、見えなかった。そして半兵衛の頭も、どんよりとしていて、時々、自分が槍で、荒木と戦っているのが見えた。
(立派に戦ったぞ。槍でなくとも、立派に――あの枯松葉で、滑りさえしなかったら、勝負は、もっと、長くなったのだ。俺には、二度不運がつづいた。だが、十分に戦ったぞ。この事を、国許へ――手紙をかきたいが、誰か――話でもいいから、誰か――)
ぼんやりしてくる頭の中で、そんな事を、思いながら
「わしは、卑怯者でないと」
一人が、首を延して、口許へ耳を寄せた。
「国許へ――立派に戦ったと」
その人が、頷いた。
「背の傷は――倒れてから――斬られた」
「全く、あいつは卑怯な――」
と、その人が答えた。
「国許へ、半兵衛は、荒木と太刀打をしたが、立派に戦ったと――」
「しかと申しますぞ。気を落さずに」
「妻にも、半兵衛は、荒木に劣っていなかったと――」
そう云いながら、もう、その人の顔が、だんだんぼんやりとしか見えなくなってきた。
(わしは、立派に戦った。見ていた人が知ってくれよう。一人が荒木、一人が桜井と、後で判ったなら、知っている者は、わしを称めてくれるだろう。御前試合へ出ても、出なくても、心懸けある士は同じだと――妻に一目――家中の者にも詳しく話をしたいが――ここの人は、伝えてくれるかしら――又五郎の助太刀だと思って、悪く云うか?――いいや、志のある人には判るだろう)
そう思っている内に、耳も聞えなくなってきた。
(わしは、もう駄目かも知れん。然し、士として、武術家として、立派に働きもしたし、考えもした。誰かが――いいや、妻だけでも、あいつだけは、知ってくれる。それでもいい――)
半兵衛は、灰色の中に、自分と妻と二人ぎりの所を見た。
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附記 伊賀越の仇討は、荒木方四人、又五郎方士分、小者ともで、合せて十一人と、藤堂家の公文書「累世記事」にも残っているし、その外俗書にも、同じであるが、一竜斎貞山(二代目)が、附人を三十六人にして、これが当って以来、すっかり、この方が一般的になってしまった。この桜井半兵衛の如き、二十三歳で、立派な武士だが、本当に紹介されていないのは、遺憾である。この時、荒木が斬ったのは、河合甚左衛門と、この桜井半兵衛との二人だけである。
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底本:「直木三十五作品集」文藝春秋
1989(平成元)年2月15日第1刷発行
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:鈴木厚司
2006年10月24日作成
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