していた。羽織もなく、鎖鉢巻をして、十分に、軽い身なりであった。そして、その脣に、微かな余裕の笑をみせ、その呼吸は落ちつき、その構えは十分に、その足は正確に――、半兵衛は
(天晴れだ)
 と、感じると共に、槍をもって立合えないのが、腸《はらわた》の底から、悲憤して、滲み上ってきた。
(何故、この期に、槍がとれない? 負けても――勝を譲ってもいいから、槍で、十分の、心ゆくまでの勝負がしたい。この大勢の見物の前で、同じ二百石同士が――御前試合へ出た荒木と、出ぬわしと、どっちが、鮮かか、どっちが立派な態度か? わしが、槍術の家の者として、せめて、最後の働きには、槍で十分に試合ってみたい、槍が――)
 半兵衛は、自分に、槍をとらさぬよう計った荒木に
(何うだ、噂を聞いて、恐れたのだろう)
 と、云いたかったが、それは、口にすべき事でなかった。と同時に、自分の得手を封じて、不得手な刀で勝負しようとしている荒木の、武士らしくない、正直でない、策略のある態度に、怒りが生じてきた。
(この見物人は、そんな事を知らんであろう。わしが、美濃の桜井半兵衛である事を知らんであろう、矢張り、剣術の者だと考えているだろう。それはちがうぞ。わしは、槍さえとれば、荒木に五分の勝負は、できるんだ。誰か、荒木に、半兵衛に槍をやれ、荒木卑怯だと、云ってくれるものは無いかしら――いいや、そんな事を考えるのは、卑怯だ。わしの不得手な太刀で、何《ど》れだけ、荒木と戦えるか? 勝敗は別として、わしが、何れだけ立派に戦ったか。それでいいのだ。わしの、立派に戦った事が、国の人へ判るなら、半兵衛が、あの時、槍さえもっていたなら、荒木と互角だと、云ってくれるだろう。槍持が、荒木の計にのったのは、わしの運のつきる所だ。わしは、太刀で、立派に荒木と戦って、立派に、負けてやろう。武士の重んじる所は、勝敗ではない。勝負は末だ。勝負をしている時の態度だ)
 半兵衛は、青眼につけて、荒木と向合った。そして、そのまま、お互に動かなかった。
 何の位経ったか、半兵衛には、判らなかった。呼吸が苦しくなり、汗が滲んできた。そして、荒木も、もう微笑を消して、眼を異様に光らせて――それは、可成りに、切迫している表情であった。
(わしは、わしの不得手な太刀打でも、これまでに試合した。もうこれで十分だ。この大勢の見物の中には、心ある人も、眼の開い
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