」
「殺す。」
夫人は、黙って――だが、心の中では、この執拗な愛に、憎悪と、軽蔑とを感じて、
「そう。」
と、一言だけ、軽くいった。
「もう、二、三日しかもつまいが――俺は、俺の精神をこめた、三号ロボ以外に、御前を渡したくないんだ。」
「また始まったのね。よく、判っているわ。」
「俺にも、よく判っているから、幾度もいうんだ。御前は、もう、独身で居れなくなっているから――」
「だから、ロボさんを愛していたらいいじゃないの。」
窓は半分閉じて、カーテンがかかっていたし、ベッドの半分にも、カーテンがかかっていた。壁の織物、クルミ床の上の支那絨氈、大きいスタンド、白大理石の鏡台、そんな物が、悉く、陰鬱に、黙り込んでいた。夫人は、
(誰か、見舞人でも、来ないかしら)
と、ちらっと、考えたり、ロボットの巧妙な、そして、人間とはちがった異状な感覚を、回想したりしていた。
「ロボットの霊魂――あるよ。」
俊太郎は、呟いた。
「嫉妬する?」
「ロボットは、御意《ぎょい》のままか、然《しか》らずんば、破壊か、だ。」
「そうね。」
夫人は、口だけで答えた。そして、機械人《ロボット》と、新らしい愛人との比較を、頭の中で、灼けつくように考えていた。
「もう、四時だわ。お薬を上る時間よ。」
夫人は、腕時計をみて、(もう来る時分《じぶん》だのに――)と思った。
「侵入者を防ぐためのロボットで、自分を壊さぬよう注意してくれ。ね。」
「ええ。」
そう答えた時、看護婦が、ノックして入ってきた。
五
「実に、精巧なものだ。ちっとも、人間とちがわんじゃないか。」
告別式に来た人々は、ロボットの手を握ったり、頬を撫でたりして称《ほ》めた。
「称めていいか、けなしていいか――宗教が、人間を救った方が多いか、苦しめ、迷わした方が多いか、判らないように、科学の発達も、功罪不明だね。」
「ロボットのごとき、明かに、人間の職を奪ったからね。」
人々は、壁の所の椅子に凭れて、煙を、部屋中に立籠《たちこ》めながら、話声を、充満させていた。
「全く、科学上の一つの重大発見は、社会の、経済の、根底を動揺させるからね。レーヨンの発達が、生糸を圧迫し、生糸の生産原価の低廉が、綿糸へ影響し、そのレーヨンが、近来、人造羊毛のために、四苦八苦しているなんざ、よくしたものさ。」
「アメリカでは、携帯用のロボットが、成功したらしいね。」
「あれがね。」
「一尺四方ぐらいで、能率は、このロボットと同じくらいなんだろう。小さい車輪をつけて、合成軽金の支柱を建てると、荷物をつんで、走っても行くし、場所を指定して、距離メーターをかけておくと、一定の角へ行くと、曲りもするらしい。計った距離の所で、右へも、左へも向くんだね。だから、安全で、正確な使をする訳だ。」
「函《はこ》が、独りで歩いて行くのはいいね。」
「近代風景の一つさ。ロボット専用道路など出来て、人間が踏込むと、跳ね飛されたってね。」
「そういう時代になったね。」
「日本でも、電気自動車のタクシーは、大抵、ロボットに成るらしいね。」
「僕は、乗ったよ。五十銭入れると、扉を開けて――不便なのは、知らない所へ行けないだけだが、電気感触器が、出来て以来、絶対衝突の憂はないし――」
「ロボットを政府事業にして、一切の生産は、こいつにやらせるんだね。人間は、だから懐手をしていて、分配だけを受ける。」
「そう成るだろう、それ以外の方法では、失業者がふえるだけだ。」
「所が、君。」一人、が声を低くして、「このロボットは、君、…………………もっているんだってね。」
「そうかい。」
「じゃあ、…………一つ作って、売出すか。」
「君のような失恋家には、いいだろう。ロボットなら、反逆を企てないからね。」
「その代り、銀座でも、連れて歩いたら、何奴《どいつ》のも、皆、流行《はやり》女優の似顔をしていてうんざりするだろう。」
「僕は、美人の新型を作るよ。一方の眼が大きくて、一方が細いとか、前にも、後方《うしろ》にも顔があるとか――」
「とにかく、人間の女なんざあ、どの面も同じで、おもしろくねえってな事で、鼻の三つある奴を連れてさ。」
「ロボットなら、女房も、妬《や》くまい。」
「その代り、女房も、男のロボットを愛するから、いよいよ人類破滅期だね。」
「強制命令で、人工受胎をさせるさ。」
「差しずめ、僕のごときは、模範的××保持者だね。官報で、人選の発表があると、女が、群がってくる。」
「もう、よそう。俊太郎め、地下で、くしゃみしているだろう。」
「しかし、急激に変化するね。社会も、人間も――恐るべき、科学の力だ。」
六
「貴女は、僕よりも、ロボの方を、愛しているように見えますね。」
「犬を愛するように。」
「嫉妬じゃないですが――そんな、馬鹿馬鹿《ばかばか》しい感情はないですが、ロボを愛するという事は、結局、僕に、資格がない、という事を語っていますからね。侮辱の一種だと思いますよ。」
「じゃ、妾《わたし》が、このパイプを愛しても。」
「パイプはちがいますよ。」
「そういえば、そうね。愛する形式と、感情の変った手遊《おもちゃ》が、妾には、一つ増えたわけね。――そういえば――どういったらいいんでしょう。確かに、可愛いいわ。妾の意思がそのままに通じるでしょう。だから、半分は、自分を愛しているようなものね。自分が、両性を具備したような、妙な、感覚と、感情とは、たしかにあるわ。そして――感覚は、刺激的な事ほど、喜ぶでしょう。異状な感覚ほど――妾、あのロボさんの、金属の香が、好きになったの、冷たい、くすぐったい、――」
体臭に近い、獣的な香水の匂が、漂っていた。夫人は、ロボットの胸に描いたのと同じ、草花のデザインを、青と、朱《あか》と、紫とで、化粧した胸に描いていたし、露出した脚には皮膚の上へ、鮮かな塗料で、幾筋もの、線が引かれていた。それは、足を長く見せると同時に、魅惑的な、肉体装飾でもあった。
「それから、人間の力って、知れたものだけど、ロボさんのは無限よ。女性って、だんだん、その力を耐《こら》えて行く内に、男性なんか、つまんなくなってくるわ。でも、いい所も、人間にはあるわね。」
「じゃ[#「じゃ」は底本では「じや」]、僕とは――」
「………………………………。」
「二週間という約束でしたから、僕は――」
「憶えているわ。五時って。」
「それに――」
「五時二十分に来たでしょう。ロボさんなら、五時が、一つ、二つ打った時、ノックするわよ。」
「恋愛にさえ、ロボ助が、勝つようになっては、人類の最後ですね。」
「ええ、生殺与奪は、女性の手へ、戻ってきた訳ね。」
「そうらしいです。」
男は、立上った。そして、扉を開けて、次の部屋へ入った。その右側には、新らしい、レーヨンの色彩的な、日本的パジャマをきたロボットが、微笑《ほほえ》んでいた。男は、じっと、眺めて、
「ロボ助。」と、いった。
「は――」ロボが、答えた。
「奥さん、ロボ助っても、通じますね。」
夫人は、薄絹の下の、彩色した身体を、歩ませながら、
「ロボ、だけは通じます。」
「君は、夫人を、愛しているか。」
「は。」
男は、ロボの顔を凝視していた。夫人が、
「愛という言葉も判るわ。」
「そういう単語は、返事ができるんですね。」
「簡単な、恋愛用語だけは――」
「蹴飛ばしてやろうか。」
ロボットは、黙っていた。男は、ロボットが、返事もしないで、微笑しているのを見ると、自分が、蹴飛ばされそうな気がした。
「気味が悪いですねえ。魂があるようだ。」
夫人は、ベッドのカーテンを開けた。そして、腰をかけて、
「ここで、話しましょう。」
と、いって、椅子を、ベッドの横へ置いて、クッションの上へ、肱《ひじ》を突いた。
七
「ロボめ、じっと、見ていやあがる。」
男は、椅子から、立上った。そして、椅子を、カーテンの外へ出して、カーテンを引いた。
夫人は、大きいクッションの上へ、身体を凭れさせて、片脚を、ベッドの外に、垂れていた。男は、ベッドの縁に、腰をかけて、
「僕は――」
情熱的な眼で、夫人を見た。夫人は、頭を、クッションの中へ埋めて、細く、眼を開いて、
「何あに。」
それは、牝猫のような、媚と、柔かさを含んだ声であった。男が……
「ロボは、接吻ができますか。」
「一種だけなら、簡単な――」
「じゃ、それは、人間の方が、有利なんですね。」
「そうよ。」
男は、夫人に近づいた。そして、ベッドの上へ、深く、腰かけた。そして、夫人の方へ手を廻した。
「いけない。」
夫人が、頭を振った。それは、拒絶の外観をもった、誘惑的な、媚態の一種にすぎなかった。
ロボットは、ベッドからの信号と同時に、真直ぐに、それは、俊太郎の計算通りに、正確に、進んできた。そして、カーテンを、頭と、身体とで押分けて入って行った。
「ロボさん、来ちゃいけない。」
と、夫人が叫んだ。男が、
「馬鹿。」
と、叫んだ。ロボットは、両手を拡げた。
「どうするの。」
と、夫人が叫んだ時、ベッドぐるみ二人を抱くように、大きく手を拡げて、二人が、蒼白《まっさお》に――それは、奇怪な、ロボットの行為に、気味悪さを感じて、骨の髄から、恐怖に、身体を冷たくした瞬間――その、軟かい、だが、力強い手で、二人を、抱きしめてしまった。
「いけない、放して。」
夫人は、ロボットの手から、腕を抜こうとした。男は、肩の骨の上から抱えられて、右手で、ベッドの枠を握りながら、全身の力で、抜出そうともがいていた。夫人は、脚で、空を蹴ったり、ロボットを蹴ったり、顔を歪めて、恐怖の眼を剥出して、
「誰か、誰か――来て頂戴。」
と、絶叫した。ロボットは、徐々に、正確に、二人を、締めつけて行った。……………………………………………………………………、二人の骨が痛んだ。
「ああッ――痛い。」
夫人が、叫んだ。その刹那《せつな》、ロボットが、
「ベッドを汚《けが》したからだ。」
と、いった。それは、俊太郎に、よく似た声のように、二人には聞えた。そして、それと同時に、二人は、頭の底へ突刺すような、全身の骨の中までしみ透るような、激痛を感じた。二人は、悲鳴を上げた。
「ロボットの霊魂だ。」
と、ロボットが、答えた。二人の脚は、苦痛に、曲っていた。震えて、指は折れるように歪んでいた。顔は、真赤になって、眼球の中に血が滲んできていた。暫くすると、夫人の鼻穴から、血が流れ出して、眼が飛出すように、大きく剥いて、突出てきた。男も、微かに、呻《うめ》くだけになった。
人々が、馳《か》けつけた時、カーテンが微かに揺れているだけであった。召使は、
「奥さん。」
と、いったが、そのまま、遠慮して、暫く、二人で、眼を見合せていた。ぽとぽと液体の滴る音がした。そして、暫くすると、ゴトッと、機械の止まるような音がした。夫人の脚が、化粧し、彩色されたまま、色が変って、カーテンの下から垂れているのを見て、二人が、カーテンを開けた時、夫人は、眼からも、口からも、血を噴出していた。そして、ロボットは、二人の上にかぶさっていた。
[#地付き](「新青年」昭和六年三月号)
底本:「懐かしい未来――甦る明治・大正・昭和の未来小説」中央公論新社
2001(平成13)年6月10日初版発行
初出:「新青年」博文館
1931(昭和6)年3月号
入力:川山隆
校正:伊藤時也
2006年10月18日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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