室が家の人達の室と続いてゐるので、亭主や上さんや子供達は遠慮なく私達の室に入つて来て話した。実際、母親の言葉通り、何処か田舎の親類へでも呼ばれてゐるやうな気がした。室の隅には耶馬渓焼の廉い陶器や、西行の像を焼いた玩具や、いろ/\なものが客に売るために置いてあつたが、七八歳になる男の児は、父親の此方に来て話してゐる傍に、それを持つてやつて来て、「西行さん、坊さん、西行さん、坊さん」などと言つた。
 夜は静かに更けた。水声が私達の枕を撼《ゆるが》すやうにした。
 あくる朝は早く起きた。幸ひに天気は好かつた。さわやかな朝日の光線は深く谷の中までさし込んで来た。深樹の緑に置いた朝露はキラ/\と美しく光つた。
 宿の亭主は私達を案内して、山陽の筆を擲つたといふ渓の畔へと伴れて行つた。二階の客の発つたあとでは「お構ひもしなかつた。」と改めて私達をそこに導いて、津民谷で獲れた鰻などを馳走した。あつさりしてゐて旨い鰻であつた。
 帰る時には、亭主はその男の児を伴れて、停車場までわざ/\送つて来て呉れた。茶代の影響とは言へ、流石は山の中の質朴さであつた。「本当に、初め行つた時は、こんな山の中の家に泊るのかと思つたけれど、却つて呑気で好かつたわねえ、旅はこれだから面白いのねえ。」かう女は言つた。
 実際さうであつた。昨夜は福岡で大尽でもあるかのやうな派手な泊り方をした。その前の宮島でも矢張さうであつた。それがかうして質朴な山中の旅舎に泊るといふことも旅なればこそと思はれた。
 帰りには私達は窓から顔を離さなかつた。昨夜闇にすぎた谷には、目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》るやうな美しい瀬が、そこにも此処にもあらはれてゐた。津民川の流れて落ちるあたりは殊に感じがすぐれてゐた。五竜の滝は白い波頭を立てゝ見事に砕けてゐた。
 次第に私達は山を出て行つた。


 耶馬渓はしかし矢張天下の名勝たるには恥ぢなかつた。
 或はこれを球磨川の峡谷に比す、或はまたこれを熊野川の谷に比す、乃至はまた東北信飛の深い渓山に比して見る、さうして見れば、無論余りに浅い谷、余りにあはれな谷、余りに世間化した谷のやうに思はれるに相違ないが、しかしさうして比較して見るのは、初めて接した時の心持で、単にさうした比較で片附けて了ふことの出来ないやうな価値が、二度行き三度行く中に、次第に私の心に飲込めて来
前へ 次へ
全6ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 花袋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング