をたれたまま、しばしの間は、その教科書の頁《ページ》をひるがえして見ていた。
 後ろのほうでささやく声がおりおりした。
 教室の硝子戸は埃《ちり》にまみれて灰色に汚《きた》なくよごれているが、そこはちょうど日影が黄《き》いろくさして、戸外では雀《すずめ》が百囀《ももさえずり》をしている。通りを荷車のきしる音がガタガタ聞こえた。
 隣の教室からは、女教員の細くとがった声が聞こえ出した。
 しばらくして思い切ったというように、新しい教師は顔をあげた。髪の延《の》びた、額の広い眉のこいその顔には一種の努力が見えた。
「第何課からですか」
 こう言った声は広い教室にひろがって聞こえた。
「第何課からですか」とくり返して言って、「どこまで教わりましたか」
 こう言った時には、もう赤かった顔の色がさめていた。
 答えがあっちこっちから雑然として起こった。清三は生徒の示した読本の頁《ページ》をひろげた。もうこの時は初めて教場に立った苦痛がよほど薄らいでいた。どうせ教えずにはすまされぬ身である。どうせ自分のベストをつくすよりほかにしかたがないのである。人がなんと言おうが、どう思おうが、そんなことに頓着
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