子を満足に食えぬのが中でも一番辛かった。机の抽斗《ひきだ》しの中には、餅菓子とかビスケットとか羊羹《ようかん》とかいつもきっと入れられてあったが、このごろではただその名残りの赤い青い粉《こ》ばかりが残っていた。やむなくかれは南京豆を一銭二銭と買ってくったり、近所の同僚のところを訪問して菓子のご馳走になったりした。のちには菓子屋の婆《ばばあ》を説《と》きつけて、月末払いにして借りて来た。
音楽はやはり熱心にやっていた。譜を集めたものがだいぶたまった。授業中唱歌の課目がかれにとって一番おもしろい楽しい時間で、新しい歌に譜を合わせたものを生徒に歌わせて、自分はさもひとかどの音楽家であるかのようにオルガンの前に立って拍子を取った。一人で室《へや》にいる時も口癖《くちぐせ》に唱歌の譜が出た。この間、女の室で酒に酔って、「響《ひびき》りんりん」を歌ったことが思い出された。女は黙ってしみじみと聞いていた。やがて「琵琶歌《びわうた》ですか、それは」と言った。信濃《しなの》の詩人が若々しい悲哀を歌った詩は、青年の群れの集まった席で歌われたり、さびしい一人の散歩の野に歌われたり、無邪気な子供らの前でオル
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