いた。
 城址《しろあと》の森が黒く見える。沼がところどころ闇の夜の星に光った。蘆《あし》や蒲《がま》がガサガサと夜風に動く。町の灯《あかり》がそこにもここにも見える。
 公園から町にはいった。もうそのころは二人は黙っていなかった。郁治は低い声で、得意の詩吟《しぎん》を始めた。心の感激《かんげき》の余波がそれにも残って聞かれる。別れの道の角《かど》に来ても、かれらはなんだかこのまま別れるのが物足らなかった。「僕の家に寄って茶でものんで行かんか」清三がこう誘うと、郁治はついて来た。
 清三の母親は裁物板《たちものいた》に向かってまだせっせっと賃仕事をしていた。茶を入れてもらってまた一時間ぐらい話した。語っても語ってもつきないのは若い人々の思いであった。十二時が鳴って、郁治が思いきって帰って行くのを清三はまた湯屋の角《かど》まで送る。町の大通りはもうしんとしていた。
 翌日は母も清三も寝過《ねす》ごしてしまった。時計は七時を過ぎていた。清三はあわてて茶漬《ちゃづけ》をかっ込んで出かけた。いくら急いでも四里の長い長い路、弥勒《みろく》に着いたころはもう十時をよほど過ぎた。学校の硝子《がらす》窓には朝日がすでに長《た》けて、校長の修身を教える声が高くあきらかにあたりに聞こえる。急いで行ってみると、受持ちの組では生徒がガヤガヤと騒いでいた。

       十三

 熊谷町《くまがやまち》にもかれの同窓の友はかなりにある。小畑《おばた》というのと、桜井というのと、小島というのと――ことに小畑とはかれも郁治も人並みすぐれて交情《なか》がよかった。卒業して会われなくなってからは毎日のように互いに手紙の往復をして、戯談《じょうだん》を言ったり議論をしたりした。月に一二度は清三はきっと出かけた。
 行田町から熊谷町まで二里半、その路はきれいな豊富な水で満たされた用水の縁に沿ってはしった。田圃《たんぼ》ごとに村があり、一村ごとに田圃が開けるというふうで、夏の日には家の前の広場で麦を打っている百姓家や、南瓜《とうなす》のみごとに熟している畑や、豪農の白壁《しらかべ》の土蔵などが続いた。秋の晴れた日には、田圃から村に稲を満載した車がきしって、黄《き》いろく熟した田には、頬《ほお》かむりをした田舎娘が、鎌《かま》の手をとめて街道を通って行く旅人の群れをながめた。その街道にはいろいろなものが通
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