ければ金《かね》もうけの話、月給の多いすくないという話、世間の人は多くパンの話で生きている。理想などということを言い出すと、まだ世間を知らぬ乳臭児《にゅうしゅうじ》のように一言のもとに言い消される。
主僧の言葉の中に、「成功不成功は人格の上になんの価値《かち》もない。人は多くそうした標準で価値をつけるが、私はそういう標準よりも理想や趣味の標準で価値をつけるのがほんとうだと思う。乞食《こじき》にも立派な人格があるかもしれぬ」という意味があった。清三には自己の寂しい生活に対して非常に有力な慰藉者《いしゃしゃ》を得たように思われた。
主客の間には陶器の手爐《てあぶ》りが二つ置かれて、菓子器には金米糖《こんぺいとう》[#ルビの「こんぺいとう」は底本では「こんいぺとう」]が入れられてあった。主僧とは正反対に体格のがっしりした色の黒い細君が注《つ》いで行った茶は冷たくなったまま黄《き》いろくにごっていた。
一時間ののちには、二人の友だちは本堂から山門に通ずる長い舗石道《しきいしみち》を歩いていた。鐘楼《しょうろう》のそばに扉《とびら》を閉め切った不動堂があって、その高い縁《えん》では、額髪《ひたいがみ》を手拭いでまいた子守りが二三人遊んでいる。大きい銀杏《いちょう》の木が五六本、その幹と幹との間にこれから織ろうとする青縞《あおじま》のはたをかけて、二十五六の櫛《くし》巻きの細君が、しきりにそれを綜《へ》ていた。
「おもしろい人だねえ」
清三は友をかえりみて言った。
「あれでなかなかいい人ですよ」
「僕はこんな田舎《いなか》にあんな人がいようとは思わなかった。田舎寺には惜しいッていう話は聞いていたが、ほんとうにそうだねえ。……」
「話|対手《あいて》がなくって困るッて言っていましたねえ」
「それはそうだろうねえ君、田舎には百姓や町人しかいやしないから」
二人は山門を過ぎて、榛《はん》の木の並んだ道を街道に出た。街道の片側には汚ない溝《みぞ》があって、歩くと蛙《かえる》がいく疋《ひき》となくくさむらから水の中に飛び込んだ。水には黒い青い苔やら藻《も》やらが浮いていた。
大和障子《やまとしょうじ》をなかばあけて、色の白い娘が横顔を見せて、青縞をチャンカラチャンカラ織っていた。
その前を通る時、
「あのお寺の本堂に室《へや》がないだろうか?」
こう清三はきいた。
「あり
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