なの》らせらるるということがご発表になりました」
 こう言って、かれは後ろ向きになって、チョオクを取って、黒板に迪宮裕仁親王という六字を大きく書いてみせた。

       十一

「どうぞ一つ名誉賛成員になっていただきたいと存じます……。それに、何か原稿を。どんなに短いものでも結構ですから」
 清三はこう言って、前にすわっている成願寺《じょうがんじ》の方丈《ほうじょう》さんの顔を見た。かねて聞いていたよりも風采のあがらぬ人だとかれは思った。新体詩、小説、その名は東京の文壇にもかなり聞こえている。清三はかつてその詩集を愛読したこともある。雑誌にのった小説を読んだこともある。一昨年ここの住職になるについても、やむを得ぬ先住《せんじゅう》からの縁故があったからで、羽生町《はにゅうまち》で屈指《くっし》な名刹《めいさつ》とはいいながら、こうした田舎寺には惜しいということもうわさにも聞いていた。それが、こうした背の低い小づくりな弱々しそうな人だとは夢にも思いがけなかった。
 かれは土曜日の家への帰りがけに、羽生の郵便局に荻生秀之助《おぎゅうひでのすけ》を訪ねたが、秀之助がちょうど成願寺の山形古城を知っていると言うので、それでつれだって訪問した。
「それはおもしろいですな……それはおもしろいですな」
 こうくり返して主僧は言った。「行田文学」についての話が三人の間に語られた。
「むろん、ご尽力しましょうとも……何か、まア、初めには詩でもあげましょう。東京の原にもそう言ってやりましょう……」
 主僧はこう言って軽く挨拶した。
「どうぞなにぶん……」
 清三は頼んだ。
「荻生君もお仲間ですか」
「いいえ、私には……文学などわかりゃしませんから」と荻生さんはどこか町家の子息《むすこ》といったようなふうで笑って頭をかいた。中学にいるころから、石川や加藤や清三などとは違って、文学だの宗教だのということにはあまりたずさわらなかった。したがって空想的なところはなかった。中学を出るとすぐ、前から手伝っていた郵便局に勤めて、不平も不満足もなく世の中に出て行った。
 主僧の室は十畳の一|間《ま》で、天井は高かった。前には伽羅《きゃら》や松や躑躅《つつじ》や木犀《もくせい》などの点綴《てんてつ》された庭がひろげられてあって、それに接して、本堂に通ずる廊下が長く続いた。瓦屋根と本堂の離れの六畳の障子
前へ 次へ
全175ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 花袋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング