であげましょう、よく聞いておいでなさい」
今度のはいっそうはっきりしていた。早くもおそくもなかった。
読める人に手を上げさせて、前の列にいる色の白い可愛い子に読ませてみたり何かした。読めるのもあれば読めぬのもあった。清三は文章の中からむずかしい文字を拾って、それを黒板に書いて、順々に覚えさせていくようにした。ことにむずかしい字には圏点《けんてん》をつけてそのそばに片仮名でルビをふってみせた。卓《テーブル》の前に初めて立った時の苦痛はいつかぬぐうがごとく消えて、自分ながらやりさえすればやれるものだという快感が胸にあふれた。やがて時間が来てベルが鳴った。
昼飯《ひるめし》は小川屋から運んで来てくれた。正午の休みに生徒らはみんな運動場に出て遊んだ。ぶらんこに乗るものもあれば、鬼事《おにごと》をするものもある。女生徒は男生徒とはおのずから別に組をつくって、綾《あや》を取ったり、お手玉をもてあそんだりしている。運動場をふちどって、白楊《やなぎ》の緑葉がまばらに並んでいるが、その間からは広い青い野が見えた。
清三は廊下の柱によりかかって、無心に戯《たわむ》れ遊ぶ生徒らにみとれていた。そこにやって来たのは、関という教員であった。
やさしい眼色《めつき》と、にこにこした円満な顔には、初めて会った時から、人のよさそうなという感を清三の胸に起こさせた。この人には隔《へだ》てをおかずに話ができるという気もした。
「どうでした、一時間おすみになりましたか」
「え……」
「どうも初めてというものは、工合《ぐあ》いの悪いものでしてな……私などもつい三月ほど前にここに来たのですが、始めは弱りましたよ」
「どうもなれないものですから」
この同情を清三もうれしく思った。
「私の前に勤めていた方はどういう方でした」
「あの方はもう年を取ったからやめさせるという噂《うわさ》が前からあったんです。今泉の人で、ずいぶん古くから教員はやっているんだそうですが……やはり若いものがずんずん出て来るものだから……それに教員をやめても困るッていう人ではありませんから」
「家には財産があるんですか」
「財産ということもありますまいが、子息《むすこ》が荒物屋の店をしておりますから」
「そうですか」
こんな普通な会話もこの若い二人を近づける動機とはなった。二人はベルの鳴るまでそこに立って話した。
午後には理
前へ
次へ
全175ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 花袋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング