い》と白の木槿《もくげ》が咲いたり、胡瓜《きゅうり》や南瓜《とうなす》が生《な》ったりした。緑陰《りょくいん》の重《かさ》なった夕闇に螢《ほたる》の飛ぶのを、雪子やしげ子と追い回したこともあれば、寒い冬の月夜を歌留多《かるた》にふかして、からころと跫音《あしおと》高く帰って来たこともあった。細い巷路《こうじ》の杉垣の奥の門と瓦屋根、それはかれにとってまことに少なからぬ追憶《おもいで》がある。
今日は桜の葉をとおして洋燈《らんぷ》の光がキラキラと雨にぬれて光っていた。雪子の色の白いとりすました顔や、繁子のあどけなくにこにこと笑って迎えるさまや、晩酌に酔って機嫌よく話しかける父親の様子《ようす》などがまだ訪問せぬうちからはっきりと目に見えるような気がする。笑い声がいつも絶えぬ平和な友の家庭をうらやましく思ったことも一度や二度ではなかった。
郡視学といえば、田舎《いなか》ではずいぶんこわ[#「こわ」に傍点]持《も》てのするほうで、むずかしい、理屈ぽい、とりつきにくい質《たち》のものが多いが、郁治の父親は、物のわかりが早くって、優しくって、親切で、そして口をきくほうにかけてもかなり重味《おもみ》があると人から思われていた。鬚《ひげ》はなかば白く、髪にもチラチラ交《まじ》っているが、気はどちらかといえば若いほうで、青年を相手に教育上の議論などをあかずにして聞かせることもあった。清三と郁治と話している室《へや》に来ては、二人を相手にいろいろなことを語った。
門をあけると、ベルがチリチリンと鳴った。踏み石をつたって、入り口の格子戸の前に立つと、洋燈《らんぷ》を持って迎えに出たしげ子の笑顔が浮き出すように闇の中にいる清三の眼にうつった。
「林さん?」
と、のぞくようにして見て、
「兄さん、林さん」
と高い無邪気な声をたてる。
父親は今日熊谷に行って不在であった。子供がいないので、室がきれいに片づいている。掃除も行き届いて、茶の間の洋燈《らんぷ》も明るかった。母親は長火鉢の前に、晴れやかな顔をしてすわっていた。雪子は勝手で跡仕舞《あとじま》いをしていたが、ちょうどそれが終わったので、白い前掛けで手を拭き拭き茶の間に来た。
挨拶をしていると、郁治は奥から出て来て、清三をそのまま自分の書斎につれて行った。
書斎は四畳半であった。桐《きり》の古い本箱が積み重ねられて、綱鑑易
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