し食った。二人は二階にまたすわってみたが、もうこれといって話もなかった。
 郁治が帰る時に、
「それじゃ学校の話、一つ運動してみてくれたまえ」
 清三はくり返して頼んだ。
 母親の病気ははかばかしくなかった。三度々々食物も満足に咽喉《のど》に通らなかった。父親が商売に出たあとでは、清三がお粥《かゆ》をこしらえたり、好きなものを通りに出て買って来てやったりする。また父親と縁側に東京仕入れの瓜《うり》を二つ三つ桶《おけ》に浮かせて、皮を厚くむいて二人してうまそうに食っていることもある。そういう時には清三は皿に瓜のさいたのを二片三片入れて、食う食わぬにかかわらず、まず母親の寝ている枕もとに置いた。母子《おやこ》の情合《じょうあ》いは病《や》んでからいっそう厚くなったように思われた。どうかすると、清三の顔をじっと見て、母親が涙をこぼしていることもあった。清三はまた清三で、めったに床についたことのない母親の長い病気を気にして医師《いしゃ》にかかることをうるさく勧《すす》めると、「お前の薬代さえたいへんなのに、私までかかっては、それこそしかたがない。私のはもう治るよ、明日は起きるよ」と母親は言った。
 二階の一間は新聞が飛ぶほど風が吹き通すこともあれば、裏の木の上に夕月が美しくかかって見えることもあった。けれど東がふさがっているので、朝日にはつねに縁遠く清三は暮らした。朝の眺《なが》めとしては、早起きをした時北窓の雲に朝日が燃えるようにてりはえるのを見るくらいなものであった。
 弥勒野《みろくの》はこのごろは草花がいつも盛りであった。清三は関さんに手紙を書いた。「このごろは座敷の運動のみにて、野に遠ざかり居り候へば、草花の盛りも見ず、遺憾《いかん》に候。弥勒野、才塚野《さいづかの》、君の採集にはさぞめづらしき花を加へたまひしならん。秋海棠《しゅうかいどう》今歳《ことし》は花少なく、朝顔もかはり種なく、さびしく暮らし居り候」
 毎日二三回ずつの下痢《げり》、胃はつねに激しき渇《かわ》きを覚えた。動かずにじっとしていれば、健康の人といくらも変わらぬほどに気分がよいが、労働すれば、すぐ疲れて力がなくなる。医師《いしゃ》は一週間目に大便の試験をしたが、十二指腸虫は一疋もいず、ベン虫の卵が一つあったばかりであった。けれどこれは寄生虫でないから害はない。ふつう健康体にもよくいる虫だと医師は
前へ 次へ
全175ページ中162ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 花袋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング