ろで、母親と清三とが知人にでっくわして挨拶《あいさつ》しているさまが浮き出すように見える。車の一番上に積まれた紙屑籠《かみくずかご》につめたランプのホヤがキラキラ光る。
長野の手前で、額が落ちかかりそうになったのを清三は直した。母親はにこにことうれしそうな顔色で、いろいろな話をしながら歩いて行く。熊谷から行田に移転した時の話も出る。
「こうして、たいした迷惑を人にもかけずに、昼間引っ越して行かれるのは、みんなお前のおかげだよ」などと言った。長野をはずれようとするところで、向こうから号外売りが景気よく鈴を鳴らして走って来た。清三は呼びとめて一枚買った。竹敷《たけじき》を出た上村艦隊が暴雨のために敵を逸《いっ》して帰着したということが書いてある。車力《しゃりき》は「残念ですなア。敵《かたき》をにがしてしまって……常陸丸《ひたちまる》ではこの近辺《きんぺん》で死んだ人がいくらもあるですぜ。佐間《さま》では三人まであるですぜ」などと話し合った。
ある豪農の塀《へい》の前では、平生引っ越し車などに見なれないので犬がほえた。榛《はん》の並木に沿った小川では、子供が泥だらけになって、さで網で雑魚《ざこ》をすくっている。繭売《まゆう》りの車がぞろぞろ通った。
新しい家では、今朝早く来た父親と、局を休んで手伝いに来てくれた荻生さんとが、バタバタ畳をたたいたり、雑巾《ぞうきん》がけをしたり、破れた障子《しょうじ》をつくろったりしていた。大家《おおや》さんは火鉢と茶道具とを運んで来て、にこにこ笑いながら、「何かいるものがありましたなら遠慮なくおっしゃい」と言って、禿《はげ》頭に頬冠《ほおかむり》をして尻をまくった父親の姿を立って見ていた。それも十二時ごろにはたいてい片づいて、蕎麦屋《そばや》からは蕎麦を持って来る。荻生さんは買って来た大福餅を竹の皮包みから出してほおばる。そこの小路《こうじ》にガタガタと車のはいる音がして、清三と母親の顔が見えた。
車力は縄《なわ》をといて、荷物を庭口から縁側へと運び入れる。父親と荻生さんが先に立って箪笥や行李や戸棚や夜具を室内に運ぶ。長火鉢、箪笥の置き場所を、あれのこれのと考える。母親は襷《たすき》がけになって、勝手道具を片づけていたが、そこに清三が外から来て、呼吸《いき》をきらして水を飲んだ。
母親は手をとどめて、じっと見て、
「どうしたの?
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