れた。
かれはいつか寺を出て、例の街道を歩いていた。光線はキラキラした。青葉と青空の雲の影とが野の上にあった。
二三日前からしきりに報ぜられる壱岐沖《いきおき》の常陸丸遭難《ひたちまるそうなん》と得利寺《とくりじ》における陸軍の戦捷《せんしょう》とがくり返しくり返し思い出される。初瀬《はつせ》吉野《よしの》宮古《みやこ》の沈没などをも考えて、「はたして最後の勝利を占めることができるだろうか」という不安の念も起こった。
野にとうご草があるのを見て、それをとった。そばにある名を知らぬ赤い草花は学校の花壇に植えようと思って、根から掘って紙に包み、汚れた手をみそはぎの茂る小川で洗った。ふと一昨日浦和のひで子から来た手紙を思い出して、考えはそれに移る。羽生に移転してからの新家庭に、そのあきらかな笑顔を得たならば、いかに幸福であろうと思った。かれはこのごろひで子を自分の家庭にひきつけて考えることが多くなった。
羽生町の入り口では、東武鉄道の線路人夫がしきりに開通工事に忙しがっていたが、そのそばの藁葺家《わらぶきや》には、色のさめた国旗がヒラヒラと日に光った。
五十
羽生に移転する前日の日記に、かれはこう書いた。
「二十六年|故山《こざん》を出でて、熊谷の桜に近く住むこと数年、三十三年にはここ忍沼《おしぬま》のほとりに移りてより、また数年を出でずして蝸牛《ででむし》のそれのごとく、またも重からぬ殻《から》を負《お》ひて、利根河畔《とねかはん》羽生に移らんとす。奇《く》しきは運命のそれよ、おもしろきは人生のそれよ、回顧一番、笑って昔古びたる城下の緑を出でて去らんのみ。歴史の章はかくのごとく、またかくのごとくして改められん」
羽生の大通りをちょっと裏にはいったところにその貸屋があった。探してくれたのは荻生さんで、持主は二三年前まで、通りで商売をしていた五十ばかりの気のよさそうな人であった。下が六畳に四畳半、二階が六畳、前に小さな庭があって、そこに丈《せい》の低い柿の木が繁っていた。家賃が二円五十銭、敷金が三月分あるのだが、荻生さんのお友だちならそれはなくってもよいという。父親も得意回りのついでに寄ってみて、「まア、あれならいい!」と賛成した。
一週間の農繁休暇を利用して、いよいよ移転することになった。平生《へいぜい》親しくした友だちは多くは離散して、そ
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