て公《こう》に奉じ、金を守るにもっぱらなる資本家も喜んで軍事公債に応じ、挙国一致、千載一遇《せんざいいちぐう》の壮挙は着々として実行されている。新聞紙上には日ごとに壮烈なる最後をとげた士官や、勇敢なる偉勲《いくん》を奏した一兵士の記事をもって満たされ、それにつづいて各地方の団隊の熱心なる忠君愛国の状態が見るように記されてある。「自分も体《からだ》が丈夫ならば――三年前の検査に戊《ぼ》種などという憐むべき資格でなかったならば、満洲の野に、わが同胞とともに、銃を取り剣をふるって、わずかながらも国家のためにつくすことができたであろうに」などと思うことも一度や二度ではなかった。かれはまた第二軍の写真班の一員として従軍した原杏花《はらきょうか》の従軍記のこのごろ「日露戦争実記」に出始めたのを喜んで読んだ。恋愛を書き、少女を描《えが》き、空想を生命とした作者が、あるいは砲煙《ほうえん》のみなぎる野に、あるいは死屍《しし》の横たわれる塹壕《ざんごう》に、あるいは機関砲のすさまじく鳴る丘の上に、そのさまざまの感情と情景を叙《じょ》した筆は、少なくともかれの想像をそこにつれて行くのに十分であった。三年前にイタリヤンストロウの意気な帽子をかぶって、羽生の寺の山門からはいって来たその人――酔って詩を吟じて、はては本堂の木魚《もくぎょ》や鐘をたたいたその人が、第二軍の司令部に従属して、その混乱した戦争の巴渦《うずまき》の中にはいっているかと思うと、いっそうその記事がはっきりと眼にうつるような気がする。急行軍の砲車、軍司令官の戦場におもむく朝の行進、砲声を前景にした茶褐色《ちゃかっしょく》のはげた丘、その急忙《きゅうぼう》の中を、水筒を肩からかけ、ピストルを腰に巻いて、手帳と鉛筆とを手にして飛んで歩いている一文学者の姿をかれはうらやましく思った。
ある日|和尚《おしょう》さんに、
「原さんからもお便りがありますか」
と聞くと、
「え、この間金州から絵葉書が来ました」
と和尚さんは机の上から軍事郵便と赤い判の押してある一枚の絵ハガキを取って示した。それには同じく従軍した知名な画家が死屍《しし》のそばに菖蒲《あやめ》が紫に咲いているところを描いていた。
「いい記念ですな」
「え、こういう花がたくさん戦場に咲いてるとみえますな」
「戦記にも書いてありましたよ」
と清三は言った。
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