ることなどもあった。
 その時はきっと二人して手拭いを下げて前の洗湯に行く。小川屋から例の娘が弁当をこしらえて持って来る。食事がすむと、親子は友だちのように睦《むつ》まじく話した。家の困る話なども出た。ありもせぬ財布から五十銭借りられて行くことなどもある。
 七月にはいっても雨は続いて降った。晴れ間には日がかっと照って、鼠《ねずみ》色の雲の絶え間から碧《みどり》の空が見える。畑には里芋の葉が大きくなり、玉蜀黍《とうもろこし》の広葉がガサガサと風になびいた。熊谷の小島は一高の入学試験を受けに東京に出かけたが、時々絵葉書で状況を報じた。英語がむずかしかったことなどをも知らせて来た。郵便|脚夫《きゃくふ》は毎日雨にぬれて山門から本堂にやって来る。若い心にはどのようなことでもおもしろい種になるので、あっちこっちから葉書や手紙が三四通は必ず届いた。喝《かつ》!――と一字書いた端書《はがき》があるかと思うと、蕎麦屋《そばや》で酒を飲んで席上で書いた熊谷の友だちの連名の手紙などもある。石川からは、相変わらずの明星攻撃、文壇照魔鏡《ぶんだんしょうまきょう》という渋谷の詩人夫妻の私行をあばいた冊子《さっし》をわざと送り届けてよこした。中にも郁治から来たのが一番多かった。恋の悩みは片時《かたとき》もかれをして心を静かならしめることができなかった。郁治はある時は希望に輝き、ある時は絶望にもだえ、ある時は自己の心の影を追って、こうも思いああも思った。清三の心もそれにつれて動揺せざるを得なかった。自己の失恋の苦痛を包むためには、友の恋に対する同情の文句がおのずから誇大的にならざるを得なかった。――独りもだゆるの悲哀は美しきかな、君が思ひに泣かぬことはあらじ――わざと和文調に書いて、末に、「この子もと罪のきづなのわなは知らず迷うて来しを捕はれの鳩」という歌を書きなどした。浦和の学校にいる美穂子の写真が机の抽斗《ひきだ》しの奥にしまってあった。雪子といま一人きよ子という学校友だちと三人して撮《うつ》した手札形で、美穂子は腰かけて花を持っていた。それを雪子のアルバムからもらおうとした時、雪子は、「それはいけませんよ。変なふうに写っているんですもの」と言って容易にそれをくれると言わなかった。雪子は被皮《ひふ》を着て、物に驚いたような頓狂《とんきょう》な顔をしていた。それに引きかえて、美穂子は明るい眼
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