局に寄って、荻生君を誘って、角《かど》の菓子屋で餅菓子を買って来る。三度に一度は、「和尚《おしょう》さん、菓子はいかが」と庫裡《くり》に主僧を呼びに来る。清三の財布に金のない時には荻生君が出す。荻生君にもない時には、「和尚さんはなはだすみませんが、二三日のうちにおかえししますから、五十銭ほど貸してください」などと言って清三が借りる。不在に主僧がその室《へや》に行ってみると、竹の皮に食い余《あま》しの餅菓子が二つ三つ残って、それにいっぱいに蟻《あり》がたかっていることなどもあった。
梅雨《つゆ》の間は二里の泥濘《どろ》の路《みち》が辛かった。風のある日には吹きさらしの平野《へいげん》のならい、糸のような雨が下から上に降って、新調の夏羽織も袴《はかま》もしどろにぬれた。のちにはたいてい時間を計って行って、十銭に負けてもらって乗合馬車に乗った。ある日、その女も同じ馬車に乗って発戸河岸《ほっとがし》の角《かど》まで行った。その女というのは、一月ほど前から、町の出《で》はずれの四辻《よつつじ》でよく出会った女で、やはり小学校に勤める女教員らしかった。廂髪《ひさしがみ》に菫色《すみれいろ》の袴をはいて海老茶《えびちゃ》のメリンスの風呂敷包みをかかえていた。その四辻には庚申塚《こうしんづか》が立っていた。この間郁治といっしょに弥勒《みろく》に行く時にも例のごとくその女に会った。
「どうしてああいう素振《そぶ》りをするのか僕にはわからんねえ」と清三が笑いながら言うと、「しっかりしなくっちゃいかんよ、君」と郁治は声をあげて笑った。その時、どこに勤めるのだろうという評判をしたが、馬車にいっしょに乗り合わせて、発戸《ほっと》にある井泉村《いずみむら》の小学校に勤める人だということがわかった。色の白い鼻のたかい十九ぐらいの女であった。
雨の盛んに降る時には、学校の宿直室に泊まることもあった。学校に出てから、もう三月にもなるのでだいぶ教師なれがして、郡視学に参観されても赤い顔をするような初心《うぶ》なところもとれ、年長の生徒にばかにされるようなこともなくなった。行田や熊谷の小学校には、校長と教員との間にずいぶんはげしい暗闘があるとかねて聞いていたが、弥勒のような田舎《いなか》の学校には、そうしたむずかしいこともなかった。師範出の杉田というのがいやにいばるのが癪《しゃく》にさわるが、自分は
前へ
次へ
全175ページ中58ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 花袋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング