けて、赤い白い競漕の旗の水面に靡いてゐるのも美しければ、三角の帆を張つたボオトが滑らかに湖上に動いて行くのも繪のやうである。
 湖に面した旅舍は、二三年前の火事に燒けて、今や欄干からすぐ湖水を見ることは出來なくなつたが、それでも猶ほ旅客の眼を樂ませるには十分だ。
 湖を渡つて歌ヶ濱に行く。其處の觀音堂にある勝道上人手刻の觀音像は今は國寶になつてゐるが、頗る見事である。私は多く佛像を見たがあんな威嚴を持つた觀音像はついぞ一度も見たことはなかつた。
 湖水の朝は殊に好かつた。水の色が好い。嵐氣の深いのが好い。歌ヶ濱から、上野島《かうづけしま》から、乃至は合潟《あせかた》の岸から見た男體は、殊にその形の端麗なので聞えてゐた。で、舟で菖蒲ヶ濱へと渡る。龍頭《りうづ》の瀑、つづいてさびしい戰場ヶ原、そこには草花が多く、夏は一面美しい毛氈を敷いたやうに見えた。そして其奧にはモウパッサンの『Inn』を思はせるやうな、冬は全く深雪に埋もれて了ふ湯本の温泉場があるのであつた。
 日光の山の町の灯も私にはなつかしかつた。料理屋の軒近くまで夜霧が深くかかつて來て、電燈の光が光鋩もなくぼんやりと濡れてかがやいてゐるのを前にして、東京生れの妓《こ》が靜かに爪彈か何かで三味線を彈いてゐるさまなどがをりをり繪になつて私の眼に映つて見えた。

    五

 日光火山群の前衞を成したやうな都賀山《つがやま》、安蘇山《あそやま》の山地も面白い。山はさう大きなものではないけれど、細い狹い谷が幾條もその間に穿たれてあつて、遠くから望んで見ても非常に襞や皺が多い。そしてその平野に落ちやうとする處には、到る處にすぐれた眺望を持つた山巒《さんらん》が聳えてゐた。
 この山の起伏は關東平野の到るところから見えた。淺草の十二階の上から、信越線の汽車の中から、北埼玉の野から、利根川の土手の上から、更に最も近くはつきりと見えたるのは、東北幹線の小山驛附近からであつた。しかしそこから見えるのは東の一面で、更に全面を見やうとするには、昔の奧羽街道、それもぐつと昔の萬葉時代に旅客の通つた驛遞の道路の線をたどつて見るに越したことはなかつた、其時分の驛遞路は、前橋附近から伊勢崎、境に出て、太田から往昔《むかし》の佐野の渡しのあつた渡良瀬川を渡つて、安蘇山、都賀山の裾を掠めて、そして下野《しもつけ》の室《むろ》の八島《やしま》の方へと出て行つたのであつた。僧道鏡の貶せられた藥師寺の趾やその墓の今日猶その附近に殘つてゐるのを見ても、上野《かうづけ》の國府から下野《しもつけ》の國府へとの路の榮えたさまが想像された。萬葉集にある安蘇山の歌は、皆その時分の旅客がこの山巒に添つて旅行してゐる形をよくあらはしてゐるのである。ことに、一番近く平野に落ちてゐる三|毳山《かもやま》の形が面白い。それは東武線の汽車の館林、佐野間を通る時によく見るが、それが絶海の孤島のやうな筑波の翠微と相對して、いかにもひろ/″\とした眺めを成してゐる。そして佐野から出た路は、この山と岩舟、唐澤の山巒の間を通つてずつと下野の國府へと出て行つてゐた。
 下野國志に、室の八島の夕暮の炊煙に包まれたさまを描いた※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]繪が一枚入つてあるが、それを見ると、昔の旅行のさまが歴々《あり/\》と私の眼の前に浮んで見えるやうな氣がした。佐野附近の渡良瀬川《わたらせがは》の渡津《としん》もその時分はかなりに榮えたらしく思はれた。
 この都賀山、安蘇山は、鹿沼《かぬま》からも入つて行ければ、栃木からも入つて行けた。佐野から入つて行く路は、秋山川の谷を深く溯つて行くやうな位置で、石灰が出る葛生町《くづうまち》があつたり、麻の緑葉の人肩を沒するやうな山畠があつたりした。田沼の近くにある唐澤山は秀郷の古城趾のあつたところで、山は淺いが、眺望は非常に好い。しかし、この奧一里のところに、これよりももつと眺望のすぐれてゐる琴平山がある。琴平の流行祠があつたが今はすたれた。岩舟には天台の古刹があつて、香煙が盛である。
 出流《いづる》の觀音の窟《いはや》のある谷は狹い小さな峽谷だが、山巒が深く入り込んでゐるので、嵐氣が深い。窟はちよつと奇觀だ。しかし、これよりも秋山川の谷を溯つて、山傳ひに足尾の方に出て行く間に、小さくはあるがかくれた山水が二三あつた。
 日光の大谷の谷に添つた大日堂の少し先からこの都賀山に入つて、小來川《こくるがは》に出て、古峰《こぶ》ヶ原、尾鑿山《をさくさん》などを探つて見るのも面白い旅の一つだ。小來川から出流《いづる》の方へ出て來るには、草山を越えたり、溪を渉つたりして、かなりに難儀な迷ひ易い路を一日歩かなければならなかつた。



底本:「現代日本紀行文学全集 東日本編」ほるぷ出版
   1976(昭和51)年8月1日初版発行
底本の親本:「山水小記」富田文陽堂
   1918(大正7)年7月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:松永正敏
2004年5月1日作成
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