急瀬の壯よりも、寧ろ清淺晶玉の美である。山にも大谷の峽谷に見るやうな烈しい強い男性的の氣分を持つてゐない。線からして既に柔かで瀟洒である。しかしこの谷には大谷の谷にない温泉が處々に湧出した。それに、近頃では軌道が出來た。まご/\すると、箱根もその繁華の半を此處に奪はれるやうにならぬとも限らない。
この二つの山水の谷に比べると、鬼怒川の溪谷は、平凡ではあるが規模は大きい。何處かと言へば、木曾川、多摩川、久慈川の谷に似てゐる。大谷の谷のやうに岸が迫つてゐない。岩石の奇にも乏しい。しかし中岩橋、籠岩を序幕として、それから瀧の湯附近、更に進んで川治の温泉附近、そこから谷は深く山又山の中に穿つやうに入つて行つて、その源流の鬼怒沼まで十五六里が間、人家は皆山に架し溪に枕《のぞ》み、水の鳴ること佩環《はいくわん》の如く、全く別天地を其處に開いて見せるのであつた。平家の落武者のかくれたといふさびしい山村を……。獵師と岩茸《いはな》採りと鑛山師と熊と岩魚《いはな》とを持つた栗山十三郷の山村を……。
しかし、鬼怒川の水電工事は、この美しい峽谷をも非常に破壞したといふことであつた。文明の氣分は今はこの深山窮谷の中まで入つて行つた。
二
普通遊覽者の通つて行く處から一歩入ると、日光の山は非常に深い。地域もまた廣大である。北は鬼怒川の谷を越して、連山重疊した會津の帝釋《たいしやく》山脈《さんみやく》と相接してゐる。
從つてその持つた森林帶には、扁柏、栂《つが》、山毛欅《ぶな》などが一面に密生して、深山でなければ見ることの出來ない原始的のカラアに富んでゐる。密林の中にある木小屋、一面に叢生した熊笹、その中を數條の細い裏山道が折れ曲つて通じて行つてゐる。瀧の尾の裏から八風《やつぷう》を越えて女峯《によほう》の七瀧《なゝたき》に登つて行く路、裏見の荒澤の谷からその岸を縫つて栗山へと通じてゐる富士見越の路、大眞名子《おほまなご》、小眞名子《こまなご》の裾を掠めて志津《しづ》の行者小屋に達する路、戰場ヶ原から山王峠を越して西澤金山に行く路、湯本の奧から狩籠《かりごめ》湖の岸に添つて、金田《かねだ》峠を越して、鬼怒川の川俣温泉に行く路、それ等の路はすべて深い深い森林帶の中を通つて行かなければならなかつた。この道路の中で、七瀧の大きな谷、女峰の劍の峰の眺望、富士見越の途中から遙に遠くそ
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