母も達者ではあるが、もう老いて、かなりに白髮も多くなつたさうだが、その白髮がなつかしい。几帳だの、かさね衣だの、廊下だの、蒔繪の文箱だの、花の枝につけた消息だの、口で言ふべきところを懷紙に書いてそれを厨子の上に置いたりする生活だの――さういふものに曾ては深くあこがれてそしてその野山を見捨てゝはるばる出かけて來たのであるけれども、今では却つてそこに戻つて行く藤母子がたまらなく羨しいのであつた。(やつぱり田舍に生れたものは田舍でくらすが好い。その方が氣安い。苦勞もない。よしまた苦勞があつたにしても、都の人達のやうにさういふ風にわるくこだはらない。その日その日をわびしく見詰め合つて暮すやうなことはない……)こんな風に思ふにつけても、都の生活が、上は大内裏の局達の生活から、下は羅生門あたりに住んでゐる乞食や盜人のさままで歴々とそこに浮んで來るのだつた。
藤はしかし田舍に戻ることを好んではゐなかつた。また田舍の土くれ男を夫に持つことについても餘り進んではゐなかつた。
廊下の暗いところで涙などを流してゐた。
『何を泣いてゐるの……。京などいつまでゐたとてしようがないではないか。それよりも田舍の
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