ずにはゐられなかつた。何ぞと言つては、道綱を伴れてはその女君のゐる几帳の方へと行つた。
『おゝ、よう參つた! あこは好い子になつたのう!』
かう言つて窕子はこつちへとそれを引寄せた。
『あこは本當にうつくしう――』引寄せてたまらなくなつたと言ふやうに、その身の苦しみやら男に對する嫉妬やら體の平均しない感情やらに堪へられなくなつたといふやうに、その赤い滑かな小さな頬にあつい口をぴたりと當てた。思はず涙が底から溢れ漲つて來た。
その頬の吸ひざまがいつもとは違つて強く烈しかつたので、小さき道綱は急に聲を立てゝ泣き出した。
『お、よし、よし、母があまりつよう吸うた! 許して呉れ! 許して呉れ、さうつよう吸うたつもりではなかつたのに! お、よし、よし』
窕子は慌てゝ引起して、それを一生懸命になだめた。
『よし、よし、本當に、この母がわるかつたのう、わびた、わびた、これこの通りにわびた!』
泣き出した道綱はしかも容易に泣き止まうとはしなかつた。
呉葉が抱き寄せて、
『何ともなつてゐはせぬのでございますのに……。おゝ、母者が吸うた。わるかつた。わるかつた。母者のとこに伴れて來ずばよかつた…
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