家は眼にした。已にかれには邸の妻にも、女房にも子供がないではなかつたけれども、それでもその愛してゐる窕子であるために一層その生れた兒がもつと詳しく見たいやうな氣がした。
 かれは几帳の中まで入つて、いぎたなく眠つてゐる窕子を覗いた。
『殿! 殿!』
 そこに呉葉が來てとめた。かれは微笑を浮べながら引返した。

         一一

 産室から出てまだ一月とは經たないほどのことであつた。窕子は兼家の何處かに出かけたあとで思ひもかけないものを發見してはつとした。
 それは螺鈿の文箱の中に、ごたごたと懷紙やら短册やら紙やらが一緒に亂雜に入つてゐるのを、別に疑ふといふやうな氣持もなしに、むしろあまり散ばつてゐるからそれを整理しようぐらゐの心持でその中をあれこれとそろへてゐたのであつた。そこにはかの女の書いた反古もある。兼家の達者な字で書いた文もある。ふと、氣が附いた時には、窕子の眼はその文に燒附きでもするやうにぴたりと留つた。
 女は誰だかわからないが、その文言は何う考へ直してもラブ・レターであつた。それもかなり此方から打ち込んでゐるらしく、例の、この身の時にもさうであつたやうなうまい言葉
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