ると申すのではないのでございますね?』
『さう土地のものは申してをりますのう……』老尼は一つ一つ珠數を數へながら段々話し出すのだつた。『それに、花などもめづらしい花が多うござる。紫の一もと! そら古歌になどもござるのう。それもいろいろに言ふが、綺麗な花も澤山にあるやうなところぢやのう。しかもこの身の居つたところは、武藏野は武藏野でも、ずつと奧の方で、それは山の裾のやうなところでのう。すみだ川といふ川もあるさうぢやが、そこにもよう行つて見ることが出來ざつた……』
『めづらしいことでございますねえ!』
『食ふものなどには別に不自由はせざつたのう。鳥などは雉や山鳥が澤山にゐた。その頃はまだ佛の道に入らざつたものぢやで、罪といふことも知らずに、つれ添ふ人がさういふことが好きぢやつたために、よく狩りに行つてさういふ鳥や獸を捕つて來たものぢや。猪なども澤山に來をつた。冬になると、夜中には狼がようやつて來た。ガサガサツて落葉を踏んでのう。何も食ふものがなくなるぢやろ……。あゝいふ獸は鼻でよく物の臭を嗅いで來るものぢやで、にほひのするものは置いてはならん、味噌汁などことに禁物ぢや。そのにほひがすると、
前へ 次へ
全213ページ中185ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 花袋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング