つてその反對な心持を裏切つた。
『隱さなくとも好いではございませんか。今度、この身をもそこに伴れて行つて逢はせて下さい………』
『よし、よし、そんなに行つて見たいなら伴れて行つて逢はせてやらぬこともない』などと言つて、兼家は却つてそれを肯定するやうに言つた。
 これに限らず、ずつと前から、兼家の好色の噂を、窕子は何彼と聞いて知つてゐるのであつた。兄の攝津介は此頃は伴につれて行かれたりなどするので、もはや此方ばかりの味方にして置くことは出來なかつたけれども、それでもその言葉の端からいろいろなことがわかつた。女房の局の方にあるのは、もはやかなりに深いらしく、その女は地位もその身よりは好く、何ぞと言つては却つて窕子のことを問題にしてゐるらしく、此方に可愛い男の兒が生れたのを兼家はそこにはひたかくしにかくして置いたのを、ある時誰れかがそれを知らずについ口を滑らして了つたので、それを死ぬほど嫉妬して、しまひには此方を呪はうとさへしてゐるのを窕子は耳にした。しかしその局の女に對してはかの女はさう大してやきもきしてはゐなかつた。かの女はその女を曾てそつと見たことかあつた。美しいには美しいにしても、とてもこの身に及ぶべくもないと思つた。窕子は優越感を十分に感じた。この他にも藤壺の侍女の中に兼家が深く思をかけた女のあることを窕子は聞いた。
 可愛い子供が出來ればそんなことはなくなる。それは兼家の方のことを言つたのか、それとも自分の方の心のことを言つたのか。まだ子供が出來ない中には、それは無論兼家の方のことを言つたので、さうなればひとり手に愛情が此方に移つて來る。可愛い子の愛にひかされてひとり手に足が此方に向くやうになる。さう思つてばかりゐたのに、子供が出來てからは、それはさういふ意味ではなくて、單に此方の心持――子供の愛に慰められて、さうした男の好色をも堪へ忍ぶやうになるといふことであるといふことが窕子にも次第に飮み込めて來るやうになつた。(男の心には女があるばかりだ……)窕子はひとり寢の夜など唇を噛んでかう獨語した。この人の世のことが年を經るにつれて次第にぴたりと身に觸れて來るのを感じた。

         一四

 兼家の行列はいつも大内裏から西洞院へと下つて行つた。それは普通は東三條の邸へと行くのが常であるが、ともすると、それが堀川の方へ行つたり、また時には西の京の荒れ果てた
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