に寄つて來た。
『御苦勞だつたね……』
呉葉の姿にしても此頃次第に年を取つて來てゐるのを窕子は見落さなかつた。かの女は言ふに言はれない感謝をそこに感じた。母親についでの自分の同情者! 自分のためにその半生を奉仕しようとするその同情者! 母親がゐず、呉葉がゐなかつたら、その身はとてもこゝまで無事に來ることは出來ないに相違なかつた。
『今日は?』
いつも引いて貰つて來るみくじのことを窕子はそこに持ち出した。
『今日のは、あまり好い方ではございませんでした――』
袖のところから、呉葉はそれを出して見せた。
『二十九凶』としてあつた。窕子はだまつてじつとそれを見詰めた。
母親にこれまで何のやうに心配をかけたであらうといふことが、その時何故かはつきりと胸に浮び上つて來た。
『でも、そんなにわるいおみくじではないさうでございます……』
『…………』
『きいて見ました……ところが、この凶は同じ凶でも吉に向う方の凶だと申しました。御心配なさることはござりますまいと申しました――』
『御苦勞だねえ、本當に……』
かう言つて窕子は呉葉がいつものやうに向うに歩いて行くのをじつと見詰めた。かの女は自分ながら不思議な氣がした。何うしてかう物を見つめる氣になつたか。何うして小さな野の花に眼をつけたり、愛宕の山の上に白くふわふわと靡いてゐる一片の雲に心を惹かれたりするのか。これもそのためか。その大きな悲哀の壁を前にしたためか。その日の夕暮には、兄の長能がやつて來て、父親もさびしさうにしてゐる話などをした。
人の噂では兼家はこのごろまた新しい女に沈湎してゐるといふことであつたけれども、窕子に對しては、そんな形は少しも見せなかつた。昔はさういふことがあつたりすると、わざとそれをその前ににほはせて、半分は嫉妬をやかせて見るといふやうな態度に出るのが常であつたけれども、今はそんな風は面に表はさずに、却つて常よりもやさしい態度に出るやうになつた。そしてその心持は窕子にもよくわかつた。しかも窕子はそれに取り合はうとしなかつた。今更何うにもならない運命を窕子は感じた。
ある日は窕子はその家の築地の傍をさびしい葬式の通つて行くのを見た。そこには旗も行列も何もなかつた。小さな棺を近い縁族のものが五六人して送つて行つた。夕日が棺を卷いた白い布に暑く照つた。烏帽子姿をした人たちの額には汗がそれとにじみ出
前へ
次へ
全107ページ中104ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 花袋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング