出來ない……何うしても出來ない。學べば學ぶほどむづかしくなる。それでゐながら、ひとり手に出て來る段になると、何の面倒もなくすぐそこにある……。あなたがいつか歌といふものについてさうおつしやられた……。法華經の中心を成してゐるものはやはりそれだと思ひます……』
『つまり、さうしますと、その高遠な思想が何處にでもあるといふことになるのでございますか?』
『さうなります……。何處にでもある。それだから難有いのでございます。たゞ一心といふこと――ひとつの心を持するといふこと、さう言つて了つては或ひは言ひすぎるかも知れませんけれども、つまり他には何もない。その經文を持してゐさへすれば好い。それより他に理窟はない。さういふところに非常に深いところがあるのでございます……あらゆる經文が皆なそこに入つてゐるのでございます――』
『さうしますと、あのお經に書いある字とか、理由とか、方則とか、さういふことよりももつと別なところにその中心がございますのですね』
『まア、さうですな……』
聰明な窕子にもそれだけではまだはつきりとはわからないらしかつた。『その一心といふこと、その一心を持するといふこと――それと佛とは何ういふ關係になりますのでせうか?』などと訊ねた。
一月もゐる中には、その僧と窕子との交際は次第に親しさの度を増して行つた。窕子は一日でもそこに行かなければさびしいやうな氣がした。その癖、それが何うの彼うのといふのではなかつた。かの女はをりをり望まれてそこで短册に歌を書いたりした。ある時には、御堂に行く途中、向うから緋の僧衣を着た僧が二三人やつて來るのに出會つて、初めはさうだとは思ひもしなかつたのに、そのひとりがそのあるじの僧であるのをやがて知つて、急にきまりがわるく、顏がわれながら不思議に思はれるくらゐにサツと染められたことなどもあつた。母親と一緒に行つた時には、いつもの佛の話とは違つて、自分が叡山に登つて修行した時のことや、奈良の唐招提寺に律を研究に一年ほど行つてゐた時の話などをかれはそこに持ち出した。『奈良の寺は方則がきびしいので一番つらうございました。朝は寅の刻に起きて、坐禪をやつたり、讀經をしたり、その間には、教義の議論をしたり、ほとほとひまといふひまはないのですから……。それは皆さんは、私どもなどはのんきに暮してゐるとお考へでせうが、中々これで忙しいのでございます
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