からないのです……本當に、何うお禮を申したら好いか……?』
落ちついた登子の言葉には、別れを潔くしようとするやうな努力がはつきりと讀まれた。
『それでは……』
窕子はじつと登子の顏を見つめるやうにして言つた。
『いつまでも此處にはゐられないやうなわけで……』
『では、内裏に……』
『え……』
登子はたゞ點頭いた。それだけでもかなりの努力であるらしかつた。
『…………』
『まア!』とか『それは……』とか窕子は言ひたかつたのだけれども、言葉は口から出て來なかつた。
暫く經つた。
『それで、こゝをお出ましになるのは、いつでございますか?』
窕子はやつと訊いた。
『それが、もう慌たゞしいので……。出來ることなら、もう一夜くらゐ、御身とわかれを惜しみたいなどと思つたのですけれども、それも出來ない……』もはや内裏から迎への車さへ來れば、いつでも出かけて行かなければならないと言ふのであつた。
『まア、そんなに早く……』
『でも、何うせ、行かなければならないものなら、いつそ早く行つて了ふ方が……?』
『…………?』
『これはほんにつまらぬものだけれども、このわびずまひにあなたがよく來て下さつたといふ記念に……』かう言つて、登子は自分が平生用ゐてゐた蒔繪の硯箱をそこに持ち出した。
『そのやうなこと……』
と窕子が辭退するのを押して、
『蒔繪はこれでも好いのだし、螺鈿もいくらか入つてるのだから……。いいえ、これは言はずにさし上げるつもりだつたけれども……』急に登子は顏を低頭かせて、『これは、……これは……宮が特にこの身のためにつくられて賜はつたものなのだが、窕子さん、これはあなたが持つて行つて下さい……。よくこの身の心をよく知つてゐて下さるあなたが――』あとはもう言へなかつた。
『…………』
窕子は眼を裳の下袖で拭いた。
『あまり氣持がよくないかも知れないけれども……』
『そんなことがございますものか……。』窕子は慌てゝ打消して、『それでは頂戴して、いつまでも、いつまでも、このかくれ家の記念として思ひ出すやうに致します……』
と言つて、そこに取出された蒔繪の硯箱を押戴くやうにした。すぐつゞけて、
『然し、あまりいろいろなことを思召さないやうに……』
『もう大丈夫……』悲しい氣分がいつか通り過ぎて行つたといふやうに、登子はいくらか晴れやかに、『いくら考へたつて、しやうがな
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