え。もう鼻唄が出たよ』
 母親は其処《そこ》に立つて居る次男に小声で言つた。
 岸には送つて来た人々が並んだ。門の前で別れて来た人もあつた。町の入口で別れをつげた人もあつた。町はずれまで来て、さらば! を言つて行つた人もあつた。其川の岸まで来たのは最も親しい人達であつた。
 次男を送つて来た一人の青年は、其友達のかうして東京に出て行くのをさも羨《うらや》ましさうに見送つて居た。
 船が動き出した時、盲目《めくら》のお婆さんを除いては、皆《みん》な船縁《ふなべり》の処に顔を並べた。岸の人々も別れの言葉を述べた。
 船は静かに流を下《くだ》つた。

     三

 其頃は汽車が今のやうに便利でなかつた。運賃も高かつた。で、この家族はかうして船で東京に行くことになつた。東京から毎日来る小蒸気は、其頃ペンキ塗の船体を処々《ところどころ》の埠頭《はとば》の夕暮の中に白くくつきりと見せて居た。
 老人達に取つては、その経て来た時代の推移ほど急激なものはなかつた。此人達は大小を指して殿様の行列の後に踉《つ》いて歩いた。勤王佐幕《きんわうさばく》の喧《やかま》しい争闘の時には昼夜兼行《ちうやけんかう》で浜町の上屋敷に上訴に出かけて行つたこともあつた。維新の際には、若者達の出陣した後を守つて、其処此処《そこここ》の番所を固めた。
 侍が士族となり、百姓が平民になつて、世の中は目眩《めまぐる》しいほどに変つて行つた。実力を持つた百姓町人が世に出て、扶持《ふち》を失つた士族が零落して行くあはれなさまをも見た。大名小路の大きな邸《やしき》が長い年月に段々つぶれて畑《はたけ》になつて行くのをも見た。御殿のあつた城址《しろあと》には徒《いたづら》に草が長《ちやう》じた。
 隣の老人の家柄は、今移転して行かうとして居る家族よりは、数等《すうとう》すぐれた家柄であつた。昔ならば槍《やり》以上と以下とでは、殆ど交際が出来ぬほど階級が違つて居た。隣の老人は二百石の家柄で暢気《のんき》に謡ひをうたつて暮して来た。それに引かへて、一方の老人は賤《いやし》い処から武芸や文事《ぶんじ》を磨いて、人が驚くほど立身して、江戸家老のお気に入りに其人ありと知られるほどの勢力のある生活を送つて来た。
 しかしこの二軒は昔しから隣同士に親んで居たのではなかつた。子息《むすこ》の死んだ後の家族を纏《まと》めて、家を買つて
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