うだらうか? 石灰発掘所のトロコには?」
Bは時計を出して見て、「まだ五時少しすぎたばかりですから――七時まではトロコはありますから――」
「七時までに行けますかね?」
「是非行かなけりやなりませんね。それに間にあはないとすると、今夜一夜歩かなくつてはなりませんから」
「そいつは大変だ……」かういつてKはまた急いで歩き出した。
一歩々々草を分けて進んで行く一行のすがたは、時には樹のかげに、時には岩角に、また時には林の中にそれと長く連つて、Hの負つた水筒にをりをり樹間をもれて来る影がキラキラと美しく光つたりなどした。Sの大きなヘルメツト帽もあたりに際立つて動いて行つた。
四
ふとかれ等はその前に人の影の動いて行くのを眼にした。しかもそれはかれ等が不安に襲はれてゐる馬賊でもなければ、それに近い無気味な支那人の男の群でもなかつた。かれ等は赤と青との雑り合つてゐる支那女の着物を見た。ぐるぐると後にかためてまいてゐる黒い髪を見た。続いて十一二歳ぐらいゐになる可愛い女の児の白い顔色を見た。
「ほ! これは好い道伴だ――この母子づれと一緒に行けば大丈夫だ」
かう思つたのはKとBばかりではなかつた。HもSもさう思つてほつとした。彼等はそのまゝそこに立留つた。
「この人達もK、Sまで行くんでせう?」
「それはさうだらう?」
「それは丁度いい道伴れだ……。せめて峠の上までも一緒に行つてもらはう。さうする方がいい。この母子づれと一緒に行けば、あやしいものに出会しても、ことわりをいうてもらうことが出来るから……」
「さうだ、それがいい――」
それには案内者にその旨を言つてもらつておく方が好いといふので、Sにそれを取次がせるやうにしたが、片語なので、それが案内者にもその母子づれにも十分にはつきりと通じたとは思へなかつた。
かれ等は後になつたり先きになつたりして歩いて行つた。時にはその後から一行がぞろぞろと並んで続いて行つたり、時にはその母子づれがあまり足が遅いので、後からそれを押すやうな形になつたり、また時にはそつちが休めばこつちも休み、そつちが歩き出せばこつちも歩き出すといふやうな形にもなつたりした。少くともかれ等はさういふ風にもつれあつて五六町は歩いて行つた。
BとSとはこんな話をした。
「ちよつと好い上さんぢやないか?」
「さうだね」
「色が白いね。それに、まださう大して年をとつてゐないね?」
「いくつくらゐだらう?」
「さうさな、二十七八といふところだらうね? 娘が十一二だから、丁度その位ゐだよ。支那の女は十五六になると結婚するからね?」
「丁度いゝうば桜といふところだね?」
後からも口をはさんで笑つた。
「娘をつれて、里にでも行つた帰りといふ形だね。あの風呂敷包みには、いろ/\おみやげが入つてゐるんだよ」
不思議にもその今までの不安を忘れたといふやうにして、みんなはこんなことを言つて笑つた。平生なら何でもなかつたであらうけれども、また都会の真ん中であつたなら、こんなことは問題にもならなかつたであらうけれど、皆なホテルの二人寝の床の上にひとり長いこと寝て来てゐるやうな連中なので、さうした異種族の女にすら一種のあこがれ[#「あこがれ」に傍点]を感ぜずにはゐられなかつたのであつた。
「それでも、かうしてこんな山の中をひとりで歩くのは、大胆だね?」
「本当だね」
「矢張、馴れた土地だから平気なんだな?」
「でも、野郎がひとりだつたら、娘が一人ぐらゐくつついてゐたつて、何をやるかわかりやしないね?」
「さうかな――そんなもんかな」
それはさうした言葉はわからなかつたにしても、その話しの調子に、その笑ひ声に、わるく問題にしてゐるやうな気配に、それとなく母子は圧されたといふやうにして、その路傍の草の中に立どまつて了つた、一行の通り過ぎて行くのを待つてゐるといふやうに。
一行はすれ違つて先になつたにはなつたけれども、峠までは一緒に行つてもらひたいと思つてゐるので、その母子づれのあとからつゞいてやつて来るのを待つやうにして歩調をゆるめて歩いた。
と、その女は、一行の案内者である支那人に向つて頻に声高く何かを言ひ始めた。真面目な顔で、とがつた声で、激昂[#「激昂」に傍点]した調子で。
こつちの言葉が先方に通じないと同じやうに、その女の言葉も一行にわからなかつたけれども、兎に角そのたゞ事でないといふことは、その声や調子や表情でわかつた。甲走つた女の声の連続がしきりに一行の後にきこえた。
「どうしたんだえ?」
一番先きにかうBが言つた。
「本当だね。何か怒つてゞもゐるのかしら?」
「だつて怒るわけがないぢやないか?」
「さうだな……別に怒るわけはないな――」
Sは案内者の支那人の傍に行つて、何かしきりに聞いてゐたが
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