。
芳子が今日は先生少し遅くなりますからと顔を赧《あか》くして言った。「彼処《あすこ》に行くのか」と問うと、「いいえ! 一寸《ちょっと》友達の処に用があって寄って来ますから」
その夕暮、時雄は思切って、芳子の恋人の下宿を訪問した。
「まことに、先生にはよう申訳がありまえんのやけれど……」長い演説調の雄弁で、形式的の申訳をした後、田中という中脊《ちゅうぜい》の、少し肥えた、色の白い男が祈祷《きとう》をする時のような眼色をして、さも同情を求めるように言った。
時雄は熱していた。「然《しか》し、君、解ったら、そうしたら好いじゃありませんか、僕は君等の将来を思って言うのです。芳子は僕の弟子《でし》です。僕の責任として、芳子に廃学させるには忍びん。君が東京にどうしてもいると言うなら、芳子を国に帰すか、この関係を父母に打明けて許可を乞《こ》うか、二つの中一つを選ばんければならん。君は君の愛する女を君の為めに山の中に埋もらせるほどエゴイスチックな人間じゃありますまい。君は宗教に従事することが今度の事件の為めに厭《いや》になったと謂《い》うが、それは一種の考えで、君は忍んで、京都に居りさえすれ
前へ
次へ
全105ページ中56ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 花袋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング