、血統を調べなければなりません。それに人物が第一です。貴方の御覧になるところでは、秀才だとか仰《おっ》しゃってですが……」
「いや、そう言うわけでも無かったです」
「一体、人物はどういう……」
「それは却《かえ》って母さんなどが御存じだと言うことですが」
「何アに、須磨《すま》の日曜学校で一二度会ったことがある位、妻もよく知らんそうですけえ。何でも神戸では多少秀才とか何とか言われた男で、芳は女学院に居る頃から知っておるのでしょうがナ。説教や祈祷《きとう》などを遣《や》らせると、大人も及ばぬような巧いことを遣りおったそうですけえ」
「それで話が演説調になるのだ、形式的になるのだ、あの厭な上目を使うのは、祈祷をする時の表情だ」と時雄は心の中に合点《がてん》した。あの厭な表情で若い女を迷わせるのだなと続いて思って厭な気がした。
「それにしても、結局はどうしましょう? 芳子さんを伴《つ》れてお帰りになりますか」
「されば……なるたけは連れて帰りたくないと思いますがナ。村に娘を伴れて突然帰ると、どうも際立《きわだ》って面白くありません。私も妻も種々村の慈善事業や名誉職などを遣っておりますけえ、今度のことなどがぱっとしますと、非常に困る場合もあるです……。で、私は、貴方の仰《おっ》しゃる通り、出来得べくば、男を元の京都に帰して、此処《ここ》一二年、娘は猶《なお》お世話になりたいと存じておりますじゃが……」
「それが好いですな」
 と時雄は言った。
 二人の間柄に就いての談話も一二あった。時雄は京都|嵯峨《さが》の事情、その以後の経過を話し、二人の間には神聖の霊の恋のみ成立っていて、汚《きたな》い関係は無いであろうと言った。父親はそれを聴いて点頭《うなず》きはしたが、「でもまア、その方の関係もあるものとして見なければなりますまい」と言った。
 父親の胸には今更娘に就いての悔恨の情が多かった。田舎《いなか》ものの虚栄心の為めに神戸女学院のような、ハイカラな学校に入れて、その寄宿舎生活を行わせたことや、娘の切なる希望を容《い》れて小説を学ぶべく東京に出したことや、多病の為めに言うがままにして余り検束を加えなかったことや、いろいろなことが簇々《むらむら》と胸に浮んだ。
 一時間後にはわざわざ迎いに遣った田中がこの室に来ていた。芳子もその傍《そば》に庇髪《ひさしがみ》を俛《た》れて談話を
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