うに言った。
勇吉は三日間、雑嚢を肩からかけて村から村へと歩いて行った。自分の村から、二、三十里近くのところまでも出かけて行った。雑嚢の中には、薬が沢山に入っていた。風邪の薬、胃腸の薬、子供の気つけにする薬、ヨードホルム、即効紙などがごたごたと一杯になって入っていた。勇吉はそれを自分の村から五里ほどある停車場の町に行って、懇意な医師に処方をつくって貰って、小さな製薬会社から成べく安く下して貰って来た。
「薬、入りませんか。」
こう言って、かれは荒蕪地の処々にある家に入って行った。一軒から一軒へ行くのに、萱や篠の一杯に繁った丘を越えて行かなければならないようなこともあれば、沢地のようなぐじゃぐじゃした水のある処をぐるりと廻って行かなければならないようなこともあった。「薬屋さんかネ……今日は好いがな。」伊勢あたりから移住して来た百姓はこんな口の利き方をした。「まア、休んで行かっし、……薬はいらないが、遠いところを来て疲れたろうナモシ。」などと言って、煖炉の傍に請じて呉れる婆さんなどもあった。村から村へ三里もさびしい山路を通って行かなければならないような処を通る時には、勇吉の勇気も幾度か挫けた。「独立独行――何でも自分で生きて行くに限る。小学校でつかって呉れなければ、自分で働いて食うばかりだ。Socialist ! 結構な名をつけられたものだ。自分は Socialist だろうか。それは思想にはいくらかそういう傾向を持って居るかも知れない。国の新聞に出したあの歌などにはそういう事を主として歌った、それは事実だ。しかし、事実を歌ったばかりで、Socialist と断定する役人達の無学がわかる。
「自分は芸術家だ。Socialist ではないっていくら弁解してもわからなかった。」こんなことを思った勇吉の頭にはあの多くの人達が死刑に処せられた時の光景が歴々と浮んで来た。かれはそれを思い出す毎に、いつも体がわくわくと戦えた。それは日本などには到底起ることがないと信じていた光景であった。外国――殊にロシヤあたりでなければ見ることが出来ないと思っていた凄惨な光景であった。その時新聞を持っていたかれの手はぶるぶる戦えた。其処には、かれの知っている友達の名前が書いてあった。その友達はかれが東京に出ている頃懇意にした男で、よく往来しては、烈しい思想を互に交換したりした。しかし、勇吉は其
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