吹きわけて四條橋を渡るすさまじさ。それにしても世が世なれば、四條橋の下には、一臺十五錢と言ふ安い床が出來て、なんのことはない「夜の宿」の背景のやうな所なれど、河原の夕涼の面影を殘した唯一のもの、風は叡山おろし、水は加茂川、淺瀬をかちわたるよきたはれめもありといふ。
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秋の夜や加茂の露臺にしよんぼりとうつむける子にこほろぎの鳴く
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         ○
 秋が立つといふのに、日のうちはさすがに日本一の暑さ、東京がいつでも京都よりも十度から涼しいのはすこしくやしい。こんな夕方には銀座を歩きながら資生堂のソーダ水でも飮みたいがそれよりも播磨屋が見たい。この頃に、魚がしの人から播磨屋の舞臺姿に添へて、すばらしくいきな下駄を贈つて貰つたが、好い折がなくてまだ履かないでゐる。南座へ播磨屋でも來たらはくことにして樂しんでゐる。
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金と青やなぎ花火のふりかゝる兩國の夜をきみと歩みし
堀留の藏の二階の窓の灯の青くわびしき夜もありぬべし
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         ○
 ある日。京極に三馬がかゝつたときいたので、S君とおしのさんと三人夕方から出かけた。
 おしのさんは、ゑり清のシヨウヰンドをのぞいてゐる。そこには柳や薄の縫模樣のある襟が掛つてゐた。私たちは歩いた。私たちは、見覺えのある圖按の中形をきてあるく二人の女を見た。それは私が曾てもの好きで染めたものであつた。三人は、立どまつて不思議な心持で眺めた。
「たいへん不躾でございますが」とおしのさんがその女の人に聞いた。
「あなたは東京から來てお居でぢやないんでせうか、つひお召物がなつかしくておたづねしましたの」
 笑つて答へず。
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そのかみの少女見むとて街をゆく我ならなくに淋しきものを
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         ○
 祇園會の神興《みこし》が御旅所に置かれてゐる間は、路へ向いた御旅所の軒にぎつしりと、高張提灯が掛けられる。そこには、有名な席亭や商店の名が書いてある。東京ならさしづめ魚がし、柳ばし、と書いてある所だ。その前を電車が通る時、乘客が窓から首を出して合掌するのも京都でなくては見られぬ。かうして神輿が御旅所にある一週間は、參詣人が引きもきらない、この一週間に無言詣でをしたものは、どんな願の筋でも叶へられるといふことで、家を出るから往復の道すがらどんなことがあらうとも物を言はないで、お詣りするよき人もある。惡戲好きの嫖客は、自分の知つた子が通るのを待ち構へて、何がなものを言はせようとする。髮の簪をそつと抜きとつて
「これあんたのやおまへんか」
などと言つて笑はせる。
 無言詣で、無言狂言、なんといふ詩趣の豐かな畫題であろう。無言で思ひついて、宵やまの歸りに文之助茶屋へよつて、京都の神輿かきは大變靜かだがなんと言つてかくのだと聞いたら、京のは「よいな/\」と言ふのださうな。大阪は「よいしよ/\」東京のは「わつしよ/\」夏の日盛りの炎天の下で赤や黄や草色で彩つた團扇や手拭を持つて殺倒する、東京の夏祭りは、どこまでも野趣と蠻力とを持つてゐる。灼熱と喧騒のためにいやが上にも神經を昂らせたお祭佐七が、群集の喧騷の裡で、音もたてず人を殺す心持を連想する。
 それに引きかへこの祇園祭は、九十八度の炎天の下にいともしづかに雅びやかに行はれるのはさすがである。
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月鉾の稚子のくちびる玉蟲の色こきほどの言の葉もがな
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         ○
「あんたは地體上方の人ぢやないんですね」扇雀の樂屋でBが箱登羅に聞いた。
「えゝ、これで東京なんです」
 箱登羅が答へた。「これで」といふ意味は「憚りながら江戸ですぜ」という得意の心持か、それとも今ぢやお江戸の風もいやといふ方の得意か、私にはわからなかつたが、こゝできび/\した江戸詞をきいたのは嬉しかつた。
「江戸ぢやないんだね」私が聞くと
「御戲談を、まだやつとこちらへ來てから二十五年にしかなりません」
 箱登羅は、扇雀の團七のすみを腕に書きながら話しだした。
「なにせ、わつしが大阪へ來た頃は箱根に汽車のない時分でしてね。面白い話しがあるんです。沼津から夜徹しで御殿場へぬけようてい時でした。一ツ話しですよ。わつしがあんた伯樂に間違へられたんです。同勢五人、さうですなんでも縮の浴衣をきて草鞋がけなんでせう。すると後の方から土地の百姓が追かけてくるんです。おーい/\つてね。おい呼んでるぜ、お前か、いや、お前か、いや、俺かよう」箱登羅は自分の鼻を指しながら芝居掛りです。さう言ふとえろう早えなあ馬をどけおいただつてきくから沼津へおいて來たつて言ふと歸えりに寄んなつて言つて大笑ひでしたよ」扇雀も、蝶六もみんな笑つた。箱登羅は團七の腕へ「大勇信士」と書いた。
 四五年前のこと、南座で成駒屋一座の芝居を見て、あるアメリカの學者が、あのお婆さんになつてゐる役者が一番うまいと言つたことを思ひ出した、その婆さんに扮した役者こそは、その箱登羅であつた。
         ○
 小福の可愛いゝ横顏は、だん/\お染になつてゆく。やはり小春や梅川のいぢらしさが、この子の血をも流れてゐるやうに思へる。
 およしに扮する太郎に繪筆を投げてうつとりとしてゐたおしのさんは、龜屋を出る時、「あれで女形で通すんでせうか」ときく。
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扇雀と鶴葉の浮名たちそめし祇園もいつか初秋にいる
久松のあの横顏のほつそりと青く悲しき夏もいぬめり
さしかけし日傘の紺のてりかへしお染の襟の泣かまほしけれ
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   上方の女と江戸の女

 京都、大阪、東京の三都の女に就いて何か書いて見ないかとの話しに、つひしたはづみから受合つたが、催促の電話を受けた時分には、もう大分女の話も氣が進まないで何にも書けさうもなくなった。で、近く出版する筈の俗謠集「露地の細道」を纒めている時思ひ付いた思ひつきを書くことにした。
         ○
 京の六波羅に、豌豆の出來る畑がある。口へ入れると淡雪のやうに溶けて、しかもねつとりと身につくやうに甘い。同じ苗を移しても他の土地では育たないさうで、思ひ付きをほめられたさに東京の上司氏に贈ると「上方の野菜物は甘い、關東に食へるものなし、江戸は穢土なり」といふ意味のハガキを貰つたことがある。京の女は、この豌豆の味ひを持つてゐるやうだ。他の土地ではとても育ちさうにもない、郷土的な色調を持つてゐる。
「江戸者でなけりやお杉は痛がらず」という川柳がある。昔、伊勢の古市でお杉お玉が三味線を彈いてゐた。諸國の觀光客が面白半分に顏と言はず手と言はず投錢をしたのださうなが、江戸の客が一當大きな奴を投げるのでさう言つたもので、江戸つ兒の気前を見せたものである。
 所謂、江戸つ兒には、日本人なら誰にでもなれそうな氣がするが、上方者はさうは行きさうもない。
 大阪の町人は、素晴しく生活力が旺盛で、實に執着力が強い。男も女も非常に現實的で實際的で肉感的だ。生活と趣味との間に確然と川を隔てゝゐる。
         ○
 最近ある人の手紙に「また芝居の書割りのやうな雪が降りました。雪が降ると洗髮にしたくなります、そして外を歩いてよく風を引くのです」とあつた。これはちよつと京の女も大阪の女もしないことでせう。
 また引合に出してすままいが、東京の雪景色を俗な宗匠にたとへた三色氏の觀方は、芝居の書割りのやうだと言つた江戸の女と好い對比をなしてゐると思ひます。
 東京の雪景色はどこまでも人工的なお芝居じみたところがあることは爭はれないことです。東京に住んでゐると、自然の推移や、氣候の移り變りを殆んど氣付かずに過すことが多い。私どものやうに少年時代を田舍に過したものには、忘れてゐた信仰のやうに、山が戀しくなる時がある。上野の山下から池の端を通る時には本郷の高臺の方を眺めます。牛込の神樂坂を上る時は、きつと峠の茶屋を眼に浮べます。矢來の町をゆく時には必ず小石川關口臺の銀杏の木の上に、白い雲の浮いてゐるのを見逃しはしません。霞ヶ關を永田町の方へ上る時も、九段の坂を下る時も、重なりつらなる甍の熱病にかゝつた遠景をば、少年時代に山によせた憧憬を持つて眺めるのです。新聞に上野の彼岸櫻が咲いた消息が出るより先きに田舍者の私は生理的に春の來たことを感じます。
 江戸の人は、正月の消防の出初式に楷子の下から見る時と、兩國の花火のとき星のまばたく夜景の空を見る外、殆んど空に心をやる時はなかつたかも知れない。
 春信の繪を見ても、歌麿、豐國の繪を見ても、たま/\背景を畫いてあると、何か南畫の粉本からでも借りてきたやうな、着物の線とはまるで[#「まるで」は底本では「までる」]調子のとれない、ぎこちない線條で畫いてゐる。桐の木を一本畫いても、桐の花を知らない。紋所の桐の花を持つて來て枝に咲かせて間にはせておく。
 鼈甲屋の職人は、仕事場のわきに、紅梅を一鉢をおき、歌澤の師匠は、竹格子の出窓に朝顏の鉢植をならべ、番町の御隱居は、床の間に福壽草を据ゑて、せめて自然への心やりをしてゐる[#「ゐる」は底本では「ぬる」]に過ぎない。
 自然の移り變りを畫いたものに、「べつたら市が來た」「あやしき形に紙を切りなして胡粉ぬりたくり彩色の田樂みるやう裏にはりたる串のさまもをかし」酉の市の仕度をこんな風にかいてある。
 江戸の小唄の殆んどすべても、やはり、なげやりな人間のはかないあきらめと、ロマンチツクな意氣張りから戀のいきさつもこだはりも思ひ捨てゝ再び思ひ出すまいとしてゐる心持がどの唄にも見られる。
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卯月八日は奇黄丸それはお前何んのこつたへ、いきもとんまも蟲のせい、むかいのかゝる長ばこのペン/\草にもやるせがねえ。
鳥かげに鼠なきしてなぶられるこれも苦海のうさはらし、愚痴がのませる冷酒はしんきしんくのアヽくの世界。
蟲の音をねぎる不粹も時世なれ蟲もなかずば賣られじを因果となくよくつわ蟲。
秋の野に出て七草みれば露で小褄はみなぬれる、よしてもくんねえ鬼あざみ。
身はひとつ心はふたつ三股の流れによどむうたかたの、とけてむすぶの假枕、あかつきがたの雲の帶、なくか中洲のほとゝぎす。
忍ぶ戀路はさてはかなさよ、こんど逢ふのが命がけ涙でかくす白粉のその顏かくすむりな酒。
かねてより惡性者と知りながら虫がすいたか惚れすぎて薄情さへも場違への親切よりも身にしみていまはしんじつ身もたまも投げた朱羅宇の辻占に命とかいたもむりかいな。
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 京の街はどんな小路を歩いてゐても、きつと路のつきる所には山が見える。それは京の町が昔から言はれてゐるやうに、碁盤の目のやうに南北東西に眞直に通つてゐるから、東西北の三方には實に近く山の姿が見られる。東山が紫にかすむことも、北山に時雨が降りることも、高尾栂尾の山が紅葉することも、京の人にとつては、隨分親しみの多いことなのである。江戸の女に比べて京の女は、着物の裾をはし折つて、よく歩くことが好きだ。櫻が咲いたと言へば、折詰をこしらへて青い古渡りの毛氈をぼんさんに持たせて、嵯峨の方へ出かけて、どこの田の畦でもピクニツクをはじめる。動物園の夜櫻の下、動物の糞の匂ひをかぎながら平氣で高野豆腐をたべる。かくの如き自然兒は、江戸の女の中にはないのである。「お前とならば奥山住ひ」と唄にはあるが、深川の女にはとても田園生活は出來さうもない。
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靈山御山の五葉の松、竹葉なりとぞ人はいふわれも見る竹葉なりとも折りてもこん閨のかざしに。
月のまへのしらべは夜寒をつぐる秋風雲井のかりがねは琴柱におくるこゑ/″\。
世々の人のながめし月はまことの形見ぞとおもへば/\涙玉をつらぬく。
春によせし心もいつしかに秋にうつらふ黒木赤木のませのうちによしある花の色々。
吉野川には櫻をながむ龍田川には紅葉をながむ橋の上より文とりおと
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