いくらかは水に濡れるにしても、坂を走つて來た勢を止めずにいつそ飛こんだ方がよかつたのかも知れない、と後で思つたことだが。
さて、抱きとめられたN君も、淵に立つて水の勢ひを見るとさすがに二の足をふんだものか、當惑した顏を見合した。水の淺い時は、山の人たちは、徒渉るのと見えて大きな岩が川の中に並んでゐる。向岸の水際に破れた檜笠と草鞋が半足ある、そいつが馬鹿に陰氣に見えるのだつた。こゝを渉らうとして溺死した人間を想像させる哀れな姿《ポーズ》をしてゐるのだつたから。
「どうせう」
「まづぼくが瀬ぶみに飛んで見よう」
「ちよつと待ちたまへ」
自分はさう言つてN君を制して、二三間川下の岸に立つてゐるねむの木を見つけた。昔、讀本でよんだ古智に傚つて、その木へ登つていつた。ところが靴だもので、うまく登れない上に、その木がまたひどく細いので五六尺登つた所で、川の上へしなつてしまつた。今一尺先へ進んだら、多分川の中へ落ちさうに、ぶらつとしなつたのだ。
往來で轉んだ人が見られはしなかつたかと氣兼するやうに、N君の方へ見返ると、N君は笑つてゐる。
川のまん中で考へて見ると、たかゞ、丈のたゝないほどの川でもあるまいし、一里や二里から泳いだことのある自分だし、何を恐れてゐるんだらう。これも後で考へたことなのだが、この場合、たゞ濡れることを恐れたに過ぎなかつたのだ。
時計と、紙入と、寫眞機をポケツトから取出して、向ふ岸へ投げておいて、身體を二三度搖つて反動をつけておいて、向ふ岸へ飛んだ。左の足は水へ落ちたが右の足は辛じて岸へかゝつた、
N君はやつぱり、はじめの所から飛ぶことにした。思つたよりも樂に、足を少し濡らしただけでN君も無事だつた。
人間はどれだけ物を誇張して考へるものだか。
かう底が分つて見れば平氣なもので、それからも路はこの川を左岸へ渡つたり右岸へ越えたりしてゐたが、ざぶ/\腰の邊まで水につけて、杖で飛石を探りながら浸つて來た。日はいつの間にか暮れて、雨さへ降つて來たが、路がだん/\よくなつたので元氣づいた。どの位歩いたか知らなかつた。五時間あまり山を歩いたのだからまだ湯涌までは、よほど遠いと覺悟して、ある村へ着いたので、温泉場の路を聞かうととある家の戸口へ立つと、そこが宿だつた。
カリガリ博士
活動寫眞といふものはさう好きではない。殊に主題の淺薄な、プロツ
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