から――
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『めいめいの思想だの、感情だの、印象だのをお互ひに語りあふつてことは、世の中で何より幸福なことの一つだと、あたし思ふわ。』
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ふむ………これは獨逸語から飜譯した、或る論文の中から引用した意見だな。表題はいま憶えてゐないけれど。
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『あたし、これ經驗から言つてるのよ、尤も世の中なんて言つても、邸の門より外へは出たこともないんだけれど。だつて、あたしは先づまづ幸福な身の上といへるでしよ? お父樣からソフィーつて呼ばれていらつしやる、うちのお孃さんが、それはそれは、あたしを夢中で可愛がつて下さるのよ。』
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うへつ、畜生!……いや、何でもない、何でもない! 内證々々と!
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『お父さまだつて、よく頭を撫でたりなんかして可愛がつて下さるわ。あたし、お紅茶だつて珈琲だつて、クリームを入れたのを戴くのよ。あ、それからね、〔ma《マ》 che`re《シェール》〕(いとしいかた)、あたし、あの大きなしやぶりからしの骨なんか、ちつとも美味《おい》しいなんて思へないのに、うちのポルカンなんぞはいつもお臺所でガリガリ噛つてるの。骨で美味《おい》しいのは野禽のだけよ、それも髓をまだ誰も吸ひ取らないのでなくつちや駄目だわ。いろんなソースを混ぜあはせたのも、とても美味《おい》しいけれど、續隨子《ホルトさう》や青ものを入れたのは不味《まづ》くつてよ。でもね、何よりいけない習慣《ならはし》といへば、あの麺麭をひねりかためたのを犬に抛つてよこすことだわ。だつて食卓についてゐる、ひとかどの紳士だからつて、どうせ手ではいろんな汚ならしいものも持つでせう、その手で麺麭をこねまはしてさ、こちとらを呼びつけて、その玉を否應なしに口の中へ押しこむんですもの。吐き出すのも何だか惡いやうに思ふから――眼をつぶつて、まあ、嫌々ながら食べはするもののさ……。』
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一體これあ何だ! ちえつ、くだらない! せめて、もう少し氣のきいたことが書けさうなものだ。他の頁を讀んでみよう、何かめぼしいことが書いてあるかも知れん。
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『……あたし、邸うちの出來事を何もかもお知らせしようと思つて、とても乘氣になつてるのよ。ソフィーさまがパパつて仰つしやつてゐる旦那樣の
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