は灰いろの乾草の堆積《やま》や黄金いろの麦束が、野営を布いたやうに、果しもなく遠近《をちこち》に散らばつてゐる。枝もたわわに実のなつた桜桃《さくらんばう》や、梅や、林檎や、梨。空と、その澄みきつた鏡である河――誇りかに盛りあがつた緑の額縁に嵌まつてゐる河……なんと小露西亜の夏は、情慾と逸楽に充ちあふれてゐることだらう!
 ええと、一千八百……一千八百……さうだ、なんでも今から三十年ほど前の、暑い八月の、丁度かうした壮麗な輝やかしい或る夏の日のこと、小都会ソロチンツイの町から十露里ばかり手前の街道筋は、をちこちのあらゆる農村から定期市《ヤールマルカ》を目ざして急ぐ人波で埋まつてゐた。朝まだきから、塩や魚を積んだ荷車の列が蜿蜒として際限もなく続いてゐた。上から乾草をかぶせられた壺の山が、幽閉と暗黒に退屈しきつたとでもいふやうに、もぞもぞと蠢めき、またところどころ、荷車のうへに高く押し立てられた枠《わく》のあひだからは、けばけばしい模様を描いた丼や擂鉢の類が自慢さうに顔をのぞけては、はで好きな連中の物欲しさうな眼差《まなざし》を牽きつけてゐた。道ゆく人々の多くは、さうした高価な品の持主である、背の高い陶器師《すゑものし》が、自分の商品の後ろからのろのろしたあしどりで歩みながら、絶えず、伊達者《だてしや》で蓮葉な陶器どもに、いやがる乾草をかぶせかぶせするのを、羨ましさうに眺めやつた。
 一方、少し離れて、麦の袋や苧や麻布や、その他いろんな自家製《うちでき》の品を満載した荷車を、へとへとに疲れた去勢牛に曳かせながら、その後ろから小ざつぱりした麻布《あさ》の襯衣《ルバーシュカ》に、汚れた麻布《あさ》の*寛袴《シャロワールイ》を穿いた持主がのつそりのつそり歩いてゐた。彼は、その浅黒い顔から玉をなして流れ、あまつさへ長い泥鰌髭のさきからぽたぽた滴り落ちる汗を、ものうげな手つきで拭き拭き歩をはこんでゐるが、その髭は、幾千年このかた美醜の別ちなくあらゆる人の子をば招かれもせぬのに訪づれる、あの容赦なき調髪師の手で髪白粉《かみおしろい》をふりかけられてゐた。それと並んで、おとなしさうな、年とつた一頭の牝馬が荷車に繋がれてポカポカ歩いてゆく。行きずりの人、とりわけ、たいていな若者が、この百姓と行き交ふ度ごとに必らず帽子をとつた。だが、それはこの親爺の白毛髭のせゐでもなければ、その勿体ぶつた
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