一つ俺の配下の哥薩克で、ほんの心持だけでも、これに関係してをると分つたなら……俺はそ奴にどんな刑罰を加へてやつたらよいか、考へ出すことも出来ぬくらゐだ!」
「もしも、それが、あたしだつたら?……」と、うつかり口を辷らしたカテリーナは、びつくりして口を覆つた。
「万一、お前がそんなことを企らんだのなら、もはやお前は俺の妻ではないぞ。俺はお前を袋の中へとぢこめてドニェープルの真只中《まつただなか》へ投げこんでしまふのだ!……」
 カテリーナは、呼吸《いき》の根も止まり、頭髪《かみのけ》がそぞけだつやうに感じた。

      八

 国境の路にある酒場へ波蘭人が集まつて、もう二日も酒宴を開いてゐる。どうやら無頼の輩《やから》らしい。てつきり何処かへ入寇の目的で集まつたものだ。ある者は小銃を手にし、ある者は拍車の音を立て、また或る者は長劔をガチャガチャ鳴らしてゐる。首領どもは一杯機嫌で、自慢だらだら自分たちが立てた戦功を吹聴したり、正教徒を嘲けり、ウクライナの民をば自分たちの奴隷と呼びなして、勿体らしく口髭を捻つたり、傲慢らしくのけぞつて腰掛の上へ長々とからだを伸ばしたりしてゐる。その仲間に加特力僧《クションヅ》もひとり混つてゐるが、その風体が皆と同じで、正教の祭司などとはまるで似ても似つかず、一同とともに酒を呑み、浮かれ騒いで、その穢れた舌で淫らがましいことを喋り散らしてゐる。首領たちも奴僕と何ら選ぶところなく、破れた波蘭服《ジュパーン》の袖を後ろへ撥ね、あつぱれ剛の者を気取つて、さも分別顔に濶歩してゐる。骨牌を弄んでは、骨牌で鼻を打ち合ひ、ひとの女房は勝手に連れ込む。金切声、罵り合ひ!……首領どもはあらゆる狂態を演じ、いたづらの限りを尽して、猶太人の頤鬚を引つぱつたり、その異教徒の額に十字を描いたり、女たちに空砲を射ちかけたり、くだんの生臭坊主を相手に*クラコ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ャークを踊つたりしてゐる。未だかつて露西亜の国土にかくの如き汚辱を加へたものは、韃靼人にすらなかつた。恐らくは神が罪障を罰するため、かくの如き汚辱を忍ぶべく定め給うたのであらう! がやがや騒ぐ人声の中から、ドニェープルの対岸なるダニーロの屋敷や、その美しい妻の取沙汰をしてゐる話声が聞える……。かうした徒党の集まつたのは、いづれ善からぬ企らみがあつてのことに違ひない!
[#ここ
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