では、まるで世間ぢゆうが、寄るとさはると、この娘の噂さで持ちきりだつた。若者たちは彼女のことをこの村はじまつて以来、第一の美人で、今後とてこれほどの美人は決して生まれつこないだらうとまで褒めそやした。オクサーナはかうした評判を残らず耳に留めて知つてもゐたし、美人にはあり勝ちのやんちやでもあつた。もしも彼女が下著《プラフタ》に下袴《サパースカ》といつた服装《なり》ではなく、せいぜい自宅着《カポート》でも身に著けて出歩かうものなら、他の娘といふ娘の影は忽ち薄れてしまつたことだらう。若者たちは競つて彼女の後をつけまはしたものだが、次第にこの美女の気紛れに我慢がならなくなつて、しまひには一人二人と彼女を離れて、それほど我儘でない他の娘へと移つて行つた。ひとり鍛冶屋だけは、彼とても他の連中よりどれだけ好い待遇を受けてゐる訳でもなかつたけれど、飽くまで強情に附き纒ひとほした。父親が出かけて行つてからも、オクサーナは長いあひだ、錫の縁を嵌めた小さい手鏡の前でおめかしをしたり、容子を作つたりして、われと我が姿に飽かず見惚れてゐた。
※[#始め二重括弧、1−2−54]みんなはどうしてあたしを美人だなんて言ひはやすんだらう?※[#終わり二重括弧、1−2−55]かう、ただ何か独りごとを言つて見るだけで、別になんの気もなささうに彼女は呟やくのだつた。※[#始め二重括弧、1−2−54]みんな嘘ばつかり言つてるんだわ。あたしなんか、ちつとも美しくはないわ!※[#終わり二重括弧、1−2−55]
しかし、黒目勝な眼を輝やかして、魂の底まで焼きつくすやうな、得もいはれぬ快よい微笑を浮かべながら、鏡の中にチラと映つた、瑞々しく生気を帯びて、どこかあどけなく若々しいその顔は、立ちどころに正反対の事実を証拠だてた。
※[#始め二重括弧、1−2−54]ほんとに、こんな黒い眉と眼とがさ、※[#終わり二重括弧、1−2−55]と、鏡を手離さうともせずに、彼女はつづけた。※[#始め二重括弧、1−2−54]世界ぢゆうに又と無いほど綺麗なのかしら? こんな、天井を向いた鼻の何処が好いんだらう? こんな頬ぺたや、こんな唇の何処がいいのかしら? こんな黒い編髪《くみがみ》がどうして素敵なんだらう? ワーッ、日暮れに人が見たらぞつとするわ、だつて、この編髪《くみがみ》つたら、まるで長い長い蛇がとぐろを巻いたやうに、あたしの頭にぐるぐる巻きついてるんだもの。さうよ、あたしなんかちつとも綺麗ぢやないわ!※[#終わり二重括弧、1−2−55]だが、また鏡を少し顔から離して見て、かう叫んだ。※[#始め二重括弧、1−2−54]ううん、やつぱりあたし綺麗だわ! まあ、なんて綺麗だらう! 素敵だわ! あたしをお嫁にする人はほんとは幸福《しあはせ》ものよ! あたしの良人がどんなに惚れ惚れとあたしを眺めることだらう! 嬉しさの余り、きつと夢中になつてしまふわ! 屹度、あたしを死ぬほど接吻するわ!※[#終わり二重括弧、1−2−55]
※[#始め二重括弧、1−2−54]素敵もない娘つこだ!※[#終わり二重括弧、1−2−55]と、こつそりそこへ入つて来た鍛冶屋が口の中で呟やいた。※[#始め二重括弧、1−2−54]それになんちふ自惚の強い女だらう! 一時間も立てつづけに鏡を覗いてゐて、それでもたんのうしないで、おまけに聞えよがしに自惚を言つてやあがる!※[#終わり二重括弧、1−2−55]
※[#始め二重括弧、1−2−54]ほんとに、若い衆さんたち、あんた方があたしを相手に出来る柄だと思つて? よくまあ、あたしを見てお呉れ。※[#終わり二重括弧、1−2−55]美しい蓮葉娘はかう独り言をつづけた。※[#始め二重括弧、1−2−54]あたし、とてもすんなりしたいでたちでせう。この肌着には赤い絹絲で刺繍《ぬひ》がしてあつてよ。それに頭のリボンはどうを! あんた方が逆立ちをしたつて、こんな立派な打紐を見ることは出来なくつてよ! これはみんな、あたしが世界中で一番立派な花聟と結婚ができるやうにつて、お父さんが買つて呉れたんだわ。※[#終わり二重括弧、1−2−55]ここでニッと笑つた娘は、不意に後ろを振り向くと、そこに立つてゐる鍛冶屋を見つけた……。
彼女はあつと声をあげたが、いきなり男の前に傲然と立ちはだかつた。
鍛冶屋はたじたじとなつた。
この素晴らしい美女の浅黒い顔に現はれた表情を説明することは難かしい。その面持は峻烈な色を湛へてゐたが、その峻烈さの中には、まごまごしてゐる鍛冶屋に対する揶揄の情が窺はれもした。そして微かにそれと見える、怨みをこめた紅潮が、ほのかに顔ぢゆうに溢れてゐた。それらがごつちやになつた、得もいはれぬ美しさに対しては、ただこの場合、百万遍も接吻をして呉れるより他には手の施こしやうがなかつた。
前へ
次へ
全30ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
平井 肇 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング