碧い眼だと思つてゐるだのと、そんなやうなつまらない話ばかりなの。あたし心の中でさう思つたわ――※[#始め二重括弧、1−2−54]まあ、この方のどこがそんなに好いんだらう、トレゾールと並べたら、こんな侍從武官なんか、てんで比べものにならないぢやないか! ほんとにさ! まるでお月さまと鼈《すつぽん》ほどの違ひだわ! 第一この侍從武官はおそろしくのつぺりした、だだつ廣い顏でさ、その顏のぐるりにまるで黒い手巾《ハンカチ》でも卷きつけたやうな頬髯を生やしてゐるだけなんだけれど、そのトレゾールの方は、顏から口もとがほんとに尋常で、額のまんなかに白い斑《ほし》があるんだもの。それに腰つきなんかもトレゾールと侍從武官では比べものにも何にもなりはしないわ。眼つきにしたつて、應對ぶりや手練手管にしたつて、まるであんなんぢやないわ。ほんたうに大違ひなの! ねえ、〔ma《マ》 che`re《シェール》〕(いとしいかた)、あたしチェプロフ樣の何處がそんなに好いのか、さつぱり譯がわからないわ。あんな方にどうしてお孃さまはああも夢中になつていらつしやるんでせうねえ?』
[#ここで字下げ終わり]
さうともさうとも、おれだつてそいつあ少し變だと思ふぞ。なんの、チェプロフなんぞにさう易々あの方を首つたけにさせることが出來て堪るもんか。ええと、それから――
[#ここから2字下げ]
『こんな侍從武官がお氣に召すくらゐなら、いつそ旦那さまのお書齋に坐つてゐる、あのへつぽこ官吏だつてお氣に召していい筈だと思ふわ。まあ、そのへつぽこ役人といつたらさ 〔ma《マ》 che`re《シェール》〕(いとしいかた)、そりやあ甚《ひど》い醜男《ぶをとこ》なの! まるで龜《かめのこ》が袋をかぶつたみたい……。』
[#ここで字下げ終わり]
一體そのへつぽこ役人てえなあ誰のことかな?
[#ここから2字下げ]
『それが苗字からして變なのよ。いつもお書齋に坐つて、鵞筆《ペン》ばかり削つてるの。髮の毛がまるで乾草みたいだわ。旦那さまに時々、下男がはりに走り使ひをさせられたりしてゐるの……。』
[#ここで字下げ終わり]
おやおや、この忌々しい狆ころめが、どうやらおれのことを當てこすつてやがるのだな。何でまた、おれの髮の毛を乾草みたいだなんて吐かすのだらう?
[#ここから2字下げ]
『ソフィーさまはこの人の顏を見るとどうしても噴き出さずにはゐられないんだつて。』
[#ここで字下げ終わり]
嘘をつけ、この胸くその惡い狆ころめが! 忌々しいことを吐かしやがつて! なあに、これといふのもみんな傍妬《おかやき》からさ。どいつの差金だか、このおれが知らないとでも言ふのかい? みんな課長の仕業《しわざ》にきまつてゐる。あいつと來たら、このおれを不倶戴天の仇として恨んでやがるんだ――だもんだから事ごとに、おれを陷れよう陷れようにかかつてゐくさるのさ。それは兎も角、まだ一通ここに手紙があるから讀んでみよう。多分これを見たら事情《ことわけ》がはつきりするかも知れん。
[#ここから2字下げ]
『〔ma《マ》 che`re《シェール》〕(愛する友)、フィデリ樣、ずゐぶん御無沙汰したけれど許して頂戴ね。あたしこの頃すつかり有頂天になつてたのよ。何とかいふ小説家が、戀は命から二番目のものだつて言つてるの本當に至言だと思ふわ。それにねえ、今お邸の樣子がすつかり變つてしまつたの。この頃は例の侍從武官が毎日いりつぴたりなのよ。ソフィーさまつたら、あの侍從武官に首つたけなんですもの。お父さまも上々の御機嫌なのよ。お邸にグリゴーリイといつて、床《した》を掃きながら大抵いつでも獨言《ひとりごと》をいつてる下男がゐるの、それの口裏から推量したんだけれど、どうやら近いうちに御婚禮がありさうだわ――何しろ旦那さまは常々、是が非でもソフィーさまを將官か、侍從武官か、それとも大佐くらゐのところへお輿入がさせたい御意向だつたのだからさ……。』
[#ここで字下げ終わり]
えい、勝手にしやがれ! おれはもう、とてもこんなものは讀む氣がしない……。何かといへば、やれ侍從だの、やれ將官だのと、聞きたくもないや。ちよつと好ささうなものは何から何まで、みんな侍從武官か將官の懷ろへころげこんでしまふのさ。こちとらが何かちよつぴり幸福《しあはせ》を見つけて、それを手に入れようと思ふと、すぐに侍從だの將官だのが横合から掻つぱらつてしまやがる。忌々しいつたらありやしない! おれも將官になりたい、將官になつて聟の口にありつかうなんて、そんなさもしい下心からでは更々ないが、ただ、おれが將官になつたら、さぞかしあの連中が寄つてたかつて世辭追從や繁文褥禮の限りをつくすだらうから、その醜態が見てやりたいのと、へん、吾輩は君たちなんぞに鼻汁《はな》もひつかけんぞと反り
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