りなば、神よ、われをばかの深淵より曳き出し、駒の背に乗せ、いと高き山顛に立たせて、その悪人をわが許に導き給へかし。さすれば我はその山の、峯よりそやつを深淵の、底をめがけて投げ込まん。そのとき彼の先祖《さきおや》の亡霊どもが生前に、おのおの住みし土地《ところ》より、伸びあがり立ちあがり、各自の受けし苦しみの、返報としてその男の、屍《かばね》に飛びつき喰《くら》ひつき、裂きつちぎりつ永遠に、噛みつづけるに委すべし。その苦しみを眺めつつ我は心を慰めん。さあれ一人かのユダなる、ペトゥローのみは彼も亦、同じ屍に噛みつかんため、地下より起ちあがらんとしても叶はず、その骸骨は時と共に、いよいよ地中で成長し、それにつれて苦しみも、益々烈しくなりまさる。この苦しみこそ彼にとり、いと残忍なる苦しみならん。復讐せんとして復讐し得ざるほど、大いなる苦しみとてはあらざればなり。※[#終わり二重括弧、1−2−55]
☆
※[#始め二重括弧、1−2−54]さても怖ろしき刑罰を、案じたるよな人間《ひとのこ》よ! さらば望みに委すべし。されども汝も永久《とこしへ》に駒の背に乗りその峯に、残る覚悟を定むべし。しかも駒に跨がりて、彼処《かしこ》に佇む日の限り、汝にもまた天国の安息《やすらひ》なきを心せよ!※[#終わり二重括弧、1−2−55]かく宣まひし上帝の、言葉のままに実現せり。今に至るもカルパシヤの、峯に駒をば打ち立てて、不思議の騎士は底もなき、奈落の淵に亡霊が、あまた一つの屍《しかばね》を、噛みくだく有様と、今ひとつなる屍《しかばね》が、地中にありて次ぎ次ぎと、成長しつつ堪へ難き、苦痛に我れと我が骨を、噛みつつ大地をどよめかす、その有様を見まもるなり。……』
☆ ☆ ☆
盲人はかく歌ひ終ると、やがて、また弦の調子を合はせて、今度は*※[#始め二重括弧、1−2−54]ホマとエリョーマ※[#終わり二重括弧、1−2−55]だの、*※[#始め二重括弧、1−2−54]スツクリャール・ストコーザ※[#終わり二重括弧、1−2−55]だのといつた、滑稽ものを歌ひだしたが……しかし群衆は、老も若きもおしなべて、なほも我れに返らうとはせず、頭べを垂れて、その怖ろしき昔の出来ごとを思ひ描きつつ、しばしその場に佇んだ。
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『ホマとエリョーマ』 善良で馬鹿な二人の田舎者の滑稽な仕種を歌ひ込んだ露西亜の古い民謡。
『スツクリャール・ストコーザ』 やはり滑稽な主題を持つ古い民謡。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]――一八三二年――
底本:「ディカーニカ近郷夜話 後篇」岩波文庫、岩波書店
1937(昭和12)年9月15日第1刷発行
1994(平成6)年10月6日第7刷発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※底本の中扉には「ディカーニカ近郷夜話 後篇」の表記の左下に「蜜蜂飼ルードゥイ・パニコー著はすところの物語集」と小書きされています。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※「*」は訳注記号です。底本では、直後の文字の右横に、ルビのように付いています。
※底本の「*」は、訳注記号と重複するため、「☆」に代えて入力しました。
※「灯」と「燈」、「糸」と「絲」は新旧関係にあるので「灯」「糸」に書き替えるべきですが、底本で混在していましたので底本通りにしました。
入力:oterudon
校正:伊藤時也
2009年8月6日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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