ぢやあ炭の袋さへ担げないのだ。今に風に吹き倒されるやうなことにだつてなるかもしれん……。なんの!※[#終わり二重括弧、1−2−55]茲でちよつと口を噤むと、うんと一つ気張つて彼は叫んだ。※[#始め二重括弧、1−2−54]おれは女《あま》つ子ぢやねえぞ! 他人《ひと》の物笑ひになんぞなるものか! こんな袋の十《とう》をだつて担いでやらあ。※[#終わり二重括弧、1−2−55]そして、頑丈な男が二人がかりでも運びきれさうにない袋を、二つとも健気に肩へ担ぎあげた。※[#始め二重括弧、1−2−54]こいつもついでだ。※[#終わり二重括弧、1−2−55]さう言つて彼は、悪魔が底に丸くなつてしやがんでゐた、小さい袋も一緒に持ちあげて、※[#始め二重括弧、1−2−54]この中には、おれの楽器がへえつてゐた筈だて。※[#終わり二重括弧、1−2−55]さう言つて家を出ると、彼は口笛で歌を唄ひながら歩き出した。
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女房の機嫌は、
おいらにやとれぬ。
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        *        *        *

 往還は唄や笑ひや喚き声でますます騒がしくなつた。揉みあふ人の群れは、隣り村からやつて来た連中が加はつていよいよ多勢になつた。若い衆連は矢鱈に巫山戯て狂ひまはつた。時々、流しの合間々々に、誰か若い哥薩克が即興で作つた陽気な唄が聞えた。と、不意に群集の中の一人が讚仰歌《カリャードカ》の代りに、吼えるやうな声を振り絞つて※[#始め二重括弧、1−2−54]おほまか※[#終わり二重括弧、1−2−55]を歌ひ出した。

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おほまか、こまか!
団子をおくれ!
お粥もたつぷり
腸詰ひとつ!
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 どつと笑ひ声がその剽軽者に酬いた。すると小窓の戸があいて、老婆(さういふ婆さんだけが生真面目な爺さんと一緒に我が家に残つてゐたのだ)が、痩せた手に腸詰だのピロオグの一片《ひとかけ》だのを掴んで差し出した。若者や娘たちは我れ勝ちに袋を突き出して獲物を奪ひ合つた。或るところでは若者たちが八方から寄つて来て、娘つこの群れをとりかこんだ。騒々しいわめき声がどつとあがり、一人が雪を丸めて投げつけると、一人はいろんな物の入つた袋を引つたくる騒ぎ。又ある場所では娘たちが若者の一人を捕まへて足がらみを喰はせる。と、若者は袋をかついだまま、まつさかさまに地べたにのめつた。みんなは夜つぴて浮かれまはる覚悟でゐるらしい。それに今夜はお誂らへ向きの素晴らしい星空と来てゐる! そして月の光りは雪の反射で一段と明るく思はれる。
 鍛冶屋は袋を担いだまま立ちどまつた。彼の耳にふと、娘たちの群れにまじつたオクサーナの声と、彼女のか細い笑ひ声が聞えた。彼の身内は一時にぶるつとふるへた。彼は大きい方の二つの袋を地べたへ抛り出しておいて――それ故、その中に入つてゐた補祭は打傷《うちみ》のために悲鳴をあげ、村長は思ひきり逆吃をした――小さい方の袋を担いだまま、今オクサーナの声がしたやうに思はれる娘つ子の群れの後を追ふ若者たちに加はつて歩き出した。
※[#始め二重括弧、1−2−54]そら、あれが彼女《あいつ》だ! まるで女王みたいに振舞つて、黒い眼を光らせてやあがる。彼女《あいつ》に様子の好い若造が何か話をしてやあがるぞ。あいつが笑つてるところを見ると何か可笑しい戯口《ざれぐち》を叩いてやがるのに違ひない。だが彼女《あいつ》はしよつちゆう笑つてゐる女だて。※[#終わり二重括弧、1−2−55]そして、自分でも何が何やらさつぱり分らずに、いつか群集の中をすり抜けた鍛冶屋は、オクサーナのそばまで行つて立ちどまつた。
「あら、ワクーラさん、あんた此処にゐたの! まあ今晩は!」かう美女は、ワクーラの頭をぼうつとさせてしまふやうな、いつもの微笑を湛へながら言つた。「どう、たんと流しで貰へて? おやおや、なんて小つぽけな袋だこと! あの、女帝《おきさき》様の靴は手に入つて? 早くそれを手に入れなさいよ、あたしお嫁に行つてあげるからさ……。」さう言つて、キャツキャツ笑ひ出すなり、娘たちの群れといつしよに駈け去つてしまつた。
 鍛冶屋はまるで根でも生えたやうにその場に棒立ちになつてゐた。※[#始め二重括弧、1−2−54]いや、もういけねえ。もうこれ以上、おれには我慢が出来ん……。※[#終わり二重括弧、1−2−55]やがて彼はさう呟やいた。※[#始め二重括弧、1−2−54]だが、ほんとに、どうして彼女《あいつ》はあんなに凄く美しいのだらう? あいつの眼つきといひ、声といひ、何もかもが、まるで灼きつくやうだ、灼きつく……。いけねえ、おれはもう自分で自分をどうすることも出来ない。いよいよ何もかもに結着《けり》をつける時だ。霊魂《たましひ》
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