だ。なるほど、さういへば、かう早く家へ帰りついたのが最初《はな》から少し変だと思つたわい。それはさうと、レヴチェンコは今ごろ、補祭の家へ行つとる時分ぢやて、それはちやんとおれが知つてをる。それに、なんだつて鍛冶屋めが?……てへつ、へつ、へつ! 彼奴あ若い新嫁のところへ、こつそり忍んで来てやがるのぢやな。なあるほど! ようし!……もうおれには、すつかり何もかも読めたぞ。※[#終わり二重括弧、1−2−55]
「いつたい何奴《どいつ》だ、それに何だつて戸口になんぞうろついてやがるんだ?」と、鍛冶屋は前より一段と荒々しく呶鳴りながら、少し間近く詰めよつた。
※[#始め二重括弧、1−2−54]いや、おれが誰だか名乗らぬことにしよう。※[#終わり二重括弧、1−2−55]と、チューブは考へた。※[#始め二重括弧、1−2−54]この忌々しい出来そこなひ野郎に擲られるくらゐがおちぢやから!※[#終わり二重括弧、1−2−55]そこで彼は作り声をして、「わしだよ、お前さん! お慰みに一つ、こちらの窓下で流しをやらせて貰はうと思つたんでさ。」と答へた。
「その流しと一緒にとつとと悪魔のとこへでも出て失せやがれ!」と、腹立たしげにワクーラが喚いた。「何を手前はいつまでも突つ立つてやがるんだ? 聞えたらうが! とっとと出て失せろつちふに!」
チューブの方でもとうに立ち去るのが賢明だとは考へてゐたが、どうも、この鍛冶屋の指図に否応なしに従ふといふことが業腹でならなかつた。彼はまるで悪魔に小突かれでもしたやうに、何かひとこと逆らつて見ないでは済まされなかつた。
「何だつてお前さん、さうがみがみ言ひなさるだね?」と、彼は前と同じ作り声で言つた。「おらはハア、一つ流させて貰ふべえと思つただけのこんでねえか!」
「ふん! それぢやあ、口で言つただけぢやあ、分らねえつてんだな!」
さういふ言葉に次いで、チューブは肩先きに手酷い打撃を感じた。
「それぢやあ何だね、腕づくでかかつて来なさるだね!」彼は少し後へさがつて、さう言つた。
「出て失せやがれ、とつとと出て失せやがれといふのに!」かう喚きながら、鍛冶屋は又もやチューブをどやしつけた。
「何をしなさるだ!」と、チューブは痛みと怨みと怖気を含んだ声で叫んだ。「お前さん、本気でぶつたね、さつきよりひどくぶつたね!」
「出て失せろ、出て失せろ!」さう呶鳴りながら、鍛冶屋は戸をぴつたりと閉めきつてしまつた。
※[#始め二重括弧、1−2−54]見ろ、何ちふ威張り方だ!※[#終わり二重括弧、1−2−55]と、往来に一人とり残されたチューブがつぶやいた。※[#始め二重括弧、1−2−54]こんど傍へでも寄つて見ろ! 飛んでもねえ! 太い野郎めが! 手前を裁判へ突き出すことの出来ねえおいらだとでも思つてやがるのか? いんにや、おれは訴へてやる、直かに警察部長のとこへ告訴してやるぞ。今に思ひ知るがええ! 手前が鍛冶屋だらうと塗職《ぬりや》だらうと、かまふこつちやねえ。それはさうと、背中と肩を見たら、きつと青痣が出来とることだらう。畜生め、恐ろしくひどく打ちやあがつて。だが、この寒空ぢやあ、裘衣《コジューフ》を脱ぐ訳にもゆくまいて。待つてろよ、畜生鍛冶屋め、悪魔が貴様と貴様の鍛冶場をぶちこはしてしまへばええ。今に思ひ知らせてやるぞ! くそつ、忌々しい首くくり野郎めが! だが、ちやうど今、奴あ家にゐないんだな。さうするとソローハが独りでぼんやりしてをる筈ぢやて、ふん!……ここからは道も遠くなし――行つてやるかな! こんな時刻だから誰に見つかる心配もなし、ひよつとすれあ、嬉しい首尾にならねえにも限らんて……。ほんに、あの忌々しいど鍛冶屋め、おつそろしく酷く打ちやあがつて!※[#終わり二重括弧、1−2−55]
そこでチューブは、背中をさすりさすり、別の方角へと歩きだした。眼の前に自分を待つてゐるソローハとのあひびきの楽しさに、いくらか痛みも忘れて、吹雪の唸りにも負けず往来ぢゆうにピシピシ音をたててゐる酷い凍《い》てをさへ身に感じなかつた。口髭といはず顎鬚といはず、お客の鼻を容赦なくつまみあげて石鹸を塗りたくるどんな理髪師よりも素早く、吹雪のために真白にされてしまつた彼の顔には、ともすれば、くすぐつたいやうな表情が浮かんだ。だが、卍巴と降りしきる吹雪が視界を遮ぎつてしまつたため、なほも長い間、ときどき立ちどまつては背中を撫で撫で、『忌々しい鍛冶屋めが、こつぴどく打ちやあがつて!』と、ブツブツ呟やきながら道を辿るチューブの姿は、もはや見ることができなかつた。
* * *
さて、あの長い尻尾と山羊髯をもつたくだんの敏捷な洒落者が、いつたん煙突から飛び出して行つて、再び煙突へ戻つて来た時、彼が盗ん
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