ッチ(言ふまでもなく、それは梵妻《おだいこく》の不在の時に限るのだが)や、哥薩克のコールニイ・チューブや、カシヤン・スウェルブイグーズが彼女の家へせつせと通つたものだ。それに、これは彼女の最も名誉とすべき事柄であるが、彼女はこの連中を実に巧みにあやなす術《て》を心得てゐたので、彼等のうち誰ひとり、自分に競争者があらうなどとは夢にも考へてゐなかつた。信心深い百姓にもせよ、自から貴族と名乗る哥薩克にもせよ、頭巾の附いたマントを著込んで、日曜日にお寺へ詣るとか、または天気が悪くて酒場へでも行くとかすれば、ついでにソローハのところへ立ち寄つて、凝乳《スメターナ》をべつとりつけた肉団子《ワレーニキ》を食ひながら、煖かい家の中で、おしやべりで愛想のいい女主人と喃語《むつごと》を交はすのが悪からう筈はない。その癖、貴族連は、酒場へ行く前にわざわざまはり道をしておきながら、とほりすがりにちよつと立ち寄つただけで、などと言ひわけをしたものだ。また祭日などにソローハが派手な毛織下着《プラフタ》に、南京織の下袴《ザパースカ》を穿き、その上にうしろに金絲で触角《ひげ》の形の刺繍《ぬひ》をした青いスカートを著けて、お寺へ出かけて、右側の頌歌席にほど近く立たうものなら、補祭はさつそく咳払いをしたり、そちらへ向けて眼まぜをしたりするのが常で、また村長は口髭を撫でたり、房髪《チューブ》を耳に捲きつけたりしながら、隣りに立つてゐる男にかう囁やいたものだ。『へつ、何ちふがつちりした好え女だらう! 凄え女だ。』ソローハはめいめいに会釈をした。するとこちらは、自分だけに女が挨拶をしてくれたのだと思つて悦に入つたものである。
 しかしながら、他人《ひと》ごとにおせつかひ好きな人はたちどころに、ソローハが誰よりも哥薩克のチューブに対して一段とちやほやしてゐることに気がつくだらう。チューブは鰥《やもめ》だつた。彼の家の前にはいつも八つの穀堆がならんでゐた。四匹の頑丈さうな去勢牛が、いつ見ても納屋の籬垣《ませがき》から往還へ首を突きだして、戸外《そと》をとほる牝牛の小母さんや、肥つた牡牛の小父さんの姿を見つけると、もうもうと啼き立ててゐた。顎鬚を生やした山羊は納屋の屋根の上へ登つて、そこから市長の声に似た甲高い嗄がれ声を振りしぼつて、庭を横行する七面鳥をからかつたが、いつも自分の鬚にわるさをする強敵――腕白小僧たちの姿を見ると、逸早く、くるりと尻を向けた。またチューブの家の長持の中には夥しい布地や、波蘭服《ジュパーン》や、金モールのついた古風な波蘭婦人服《クントゥーシュ》などがぎつしり詰まつてゐた。死んだ女房が衣裳ずきのおしやれだつたからだ。野菜畠には、罌粟や甘藍や、向日葵のほかに、毎年ふた畑の煙草が播かれた。ソローハはもう早手まはしに、それらが残らず自分の身上と一緒になつた暁には、どういふ風に整理《きりもり》をしようかなどと、内心ほくほくと胸算用をしながら、一倍とチューブ老人にちやほやしたものである。ところが、どんなことで忰のワクーラが、チューブの娘に言ひ寄つて財産全部をわがものにしてしまはないものでもない、さうなつたら、こちらには何ひとつ手出しをさせないにきまつてゐるから、彼女はあらゆる四十女の常套手段に訴へて――チューブと鍛冶屋とに出来るだけ何度も喧嘩をさせたのである。多分かうした彼女の狡獪邪智に長けた点がわざはひして、あちこちで、口さがない老婆連に、とりわけ何か賑やかな寄合などで余計なものでも呑んだりした折に、ソローハはてつきり妖女《ウェーヂマ》だなどと言ふ噂を立てさせたものに違ひない。そればかりか、ギジャコルペンコといふ若者が、彼女のお尻に女の使ふ紡錘《つむ》くらゐの大きさの尻尾のあるのを見ただの、まだつい先々週の木曜日のこと、彼女が黒い猫に化けて道を走つて行つただの、コンドゥラート神父の梵妻《おだいこく》のうちへ豚の姿で飛び込んで雄鶏《とり》の鳴き声をあげておいて、神父の帽子を頭にかぶりざま、もと来た方へ駈け去つただのと……。
 偶々さうした噂話で婆さん連が井戸端会議を開いてゐるところへ、牛飼のトゥイミーシュ・コロスチャーウイといふ男が来合はせたことがあつた。彼はすかさずこんな話を持ちだした。なんでも夏のことで、*聖彼得斎節《ペトロフキ》の前だつたが、彼が牛小舎の中で一と眠りしようと思つて、藁を掻き寄せたのを枕にして横になつてゐると、現在その眼にまざまざと、※[#「髟/梏のつくり」、36−11]《もとどり》を振り乱した、肌着ひとつの妖女《ウェーヂマ》が牛の乳を搾りだしたのが見えるのだけれど、彼は身動き一つすることも出来ない――呪術《まじなひ》にかけられてしまつてゐたのだ。そして何か、いやに胸の悪くなるやうな物を口に塗りたくられたので、その後で一日ぢゆう、唾ばかり
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