来ようなどとは思はなかつたらうが? ほんとに思ひがけなかつたぢやらう? ひよつとわしが来て邪魔ではなかつたかな?……」チューブはかう言ひながら、その顔に浮々した仔細らしい表情をうかべたが、それは予め彼が鈍重な頭をしぼつて、何かぴりつとした、とつときの冗談を飛ばさうものと工夫をこらしてゐることを物語つてゐた。「多分お前さんは、今ここで誰かといちやついてゐたんぢやらう!……おほかた、もうお前さんは、誰かを隠《かく》まつてゐるのだらうが、ええ?」かうした咎め立てをしてすつかり有頂天になりながら、チューブはソローハから懇ろにされるのはひとり自分だけだと、内心すこぶる得意らしく、ニヤリと笑つた。「ぢやあ、ソローハ、火酒《ウォツカ》を一杯御馳走にならうかな。忌々しい凍《い》てでな、この咽喉《のど》がこごえてしまつたやうな気がするて。どうもはや、降誕祭の前夜がこんな晩と来ちやあ! あの酷い吹雪といつたら、なあソローハ、まつたくどうも、恐ろしい吹雪ぢやつたよ……。ちえつ、手が硬ばつてしまつたわい。裘衣《コジューフ》のボタンもはづせやせん! ああ恐ろしい吹雪ぢやつた……。」
「あけて呉れ!」さういふ声が戸外《そと》から聞えて、戸をドンドン叩く音がしだした。
「誰か戸を叩いとる。」と、立つたままチューブがつぶやいた。
「あけて呉れ!」今度は前より一段と声が高くなつた。
「あれあ鍛冶屋だよ!」と、チューブは帽子を掴みながら言つた。「なあ、ソローハ、何処でもよいからおれを隠して呉れ。おれはこの世で何が厭だといつて、あの忌々しい出来損ひ野郎に姿を見せるくらゐたまらんことはないのぢや! あん畜生の眼の下に山のやうな水腫れでも出来るといいのぢやが!」
 ソローハは、自分でも仰天してしまつて、まるで狂人《きちがひ》のやうに周章《あわて》ふためいた挙句、うつかりチューブに、補祭の入つてゐる袋を指さして、その中へ潜り込めと相図をした。哀れな補祭は、殆んど自分の頭の真上から重たい大男にしやがみこまれて、こちこちに凍てついた長靴で顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》を挟まれながらも、苦しいからとて咳払ひはおろか、呻き声一つもらすことさへ出来ない始末であつた。
 鍛冶屋は家へ入つても一切口もきかなければ、帽子も脱がずに、腰掛の上へ倒れるやうに身を投げた。明らかに彼はひどく機嫌を損じてゐた。
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